欧州での記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 05:19 UTC 版)
最も精力的に且つ最も遅い時期まで観測が行われた記録は、発見と同じくスペインで発表された著者不詳の論文にある。この論文では、スペインでの観測を中心に、一部フランス、イタリアでの観測結果も加えてまとめており、ローマ学院教授のジル=フランソワ・ド・ゴティニー(Gilles-François de Gottignies)が1664年12月14日に観測した結果を皮切りに、1665年3月20日までの観測結果が含まれている。 12月2日には、ライデンでクリスティアーン・ホイヘンスがこの彗星を観測、ほぼ同じ時期に、パリではピエール・プティも観測を行っている。12月中旬になると、グダニスクのヨハネス・ヘヴェリウスが観測を開始、続いてイタリアのジョヴァンニ・カッシーニやジェミニアーノ・モンタナリ、フランスのアドリアン・オーズー、イギリスのロバート・フックやサミュエル・ピープス、ハンブルクのスタニスワフ・ルビエニエツキ(Stanisław Lubieniecki)らも観測を開始している。ヘヴェリウスの観測結果はその著書に、オーズーやプティの観測結果は自身が発表した論文に掲載されたが、その他多くの観測は、ルビエニエツキの著書『彗星の劇場(Theatrum Cometicum)』にみることができ、その中にはジョヴァンニ・バッティスタ・リッチョーリやアタナシウス・キルヒャーといった学者とのやりとりも記されている。 当時ケンブリッジ大学の学生だったアイザック・ニュートンも、この彗星を観測しており、12月27日には尾の長さが34度から35度角と報告している。この彗星を観測したことがきっかけで、ニュートンは天文学の研究にのめり込んだとされる。ニュートンが最後にこの彗星を観測したのは、2月2日のことだった。 ヘヴェリウスは、2月18日までの観測を報告しているが、2月18日の記録は誤りであることがわかっており、最後の記録は2月14日となっている(後述)。オーズーやカッシーニは、3月17日まで観測を継続していた。
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