権三郎時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/09 04:18 UTC 版)
「河原崎権十郎 (3代目)」の記事における「権三郎時代」の解説
昭和10年(1935年)3月、三代目河原崎薫を名乗り、新宿第一劇場の『二人道成寺』所化で初舞台。美男の名優で名高い十五代目市村羽左衛門の薫陶を受ける。昭和21年(1946年)4月、東京劇場における戦後初の團菊祭で『六歌仙容彩・喜撰』の所化で三代目河原崎権三郎を襲名。以後菊五郎劇団に身を置き、昭和30年(1955年)7月から始まった東横ホールの菊五郎劇団若手歌舞伎の座頭を勤める。以後14年間『伊勢音頭恋寝刃』の貢を初めとし、『助六』の助六、『源平布引滝』(実盛物語)の実盛、『梶原平三誉石切』(石切梶原)の梶原平三、『東海道四谷怪談』の伊右衛門、『与話情浮名横櫛』(源氏店)の与三郎など立役や二枚目を数多く演じた。この頃「花の海老さま」と謳われて一世を風靡していた十一代目市川團十郎に容姿が似ていたことから「渋谷の海老さま」と呼ばれ絶大な人気を博した。
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