樟脳と台湾財政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 03:18 UTC 版)
上記のとおり、樟脳は台湾の特産品となるだけでなく、台湾総督府の財政の健全化に大きな役割を果たしている。日本による台湾統治の初期において、台湾の財政は日本政府の巨額の国庫補助が必要であった。1896年(明治29年)の台湾総督府歳入965万円中日本政府の国庫補助は694万円をしめた。翌1897年(明治30年)の歳入1128万円中国庫補助は596万円を占めた。1898年度(明治31年度)からは、台湾特別会計による国庫補助が開始されている。このような中、台湾の財政的な自立が、台湾統治上の最大の眼目になっていた。1899年(明治32年)に塩とともに樟脳の専売制度が開始された。台湾財政の独立化が専売制度に負うところが大きい。翌1900年(明治33年)から10年間の間、樟脳専売の平均収入は385万円であり、台湾の経常歳入のおよそ19パーセントを占めて、総督府の財政の主たる財源となった。 なおこの時、樟脳を扱う多くの業者が専売制度に反対の意向を示したのに対し、金子直吉率いる鈴木商店が賛成に回り反対派の切り崩しを行ったことは有名。鈴木商店はこの功績により、樟脳の精製時に出る樟脳油の再製について台湾総督府との間で請負契約を結ぶことに成功し、後の総合商社化への基盤を固めることになる。
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