標高計測の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 10:44 UTC 版)
以下は、江戸時代からの富士山の標高計測の経緯である。 明治初期までに測量された富士山の高さ 時代測定年測定者測定法または器械結果/m備考江戸時代 1727 福田 某 三角法 3895.1 「明治以前日本土木史」によれば、測定者は、福田履軒(福は示偏)、高さは3885.96 m となっている。 1803 伊能忠敬 三角法 3927.7 1826 シーボルト セキスタント 3793 セキスタント:六分儀 1834 内田恭 象限儀、占気筒 3475.7 1860 オルコック 気圧計 4322 ※測定法は<鈴木、1998>による 1860 ファガン 3987 1860 ウィリアム 気圧計 3266 ※測定法は<鈴木、1998>による 1860 ルビェー 3518 1860 クニッピング 気圧計 3729 明治時代 1874 スチュワート オムニメートル 3769 1874 フェントン 3772 1874 ファーブルブラントン 3768 1880 中村精男、和田雄次 気圧計 3823 メンデンホール・田中館愛橘らの富士山頂重力測定と同時に実施 1880 野尻武助 上記の再計算 3812 温度の補正が異なる 1880 チャップリン 三角測量 3787.2 1880 ライン 3745.5 1880 シュット 3766.4 1880 ミルン 3882.3 1887 参謀本部 三角測量および平板測量 3778 箱岩英一(2003):「地質ニュース」pp.23-30、2003年10月 による。 ※鈴木弘道(1998):「Height of Mountains」、1998年9月
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