標高の変遷
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かつては開聞岳の標高は、1895年(明治28年)に山頂に設置された二等三角点の標高から922.23mとされていた。しかし登山者などからの「そばの岩の上の方が標高が高い」という指摘により、2001年(平成13年)7月に国土地理院が調査を行って、公式の標高が924mに修正された。
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標高の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:06 UTC 版)
1907年(明治40年) - 測量官の柴崎芳太郎は、周辺の山々の三等三角網の測量によって、山頂の独立標高点(現在の「標高点」)を2,998.02 mと計算した。 1930年(昭和5年) - 地上写真測量で、3,003 mとされた。 1968年(昭和43年) - 航空写真測量で、2,998 mとされた。修正を行った国土地理院は、従前の標高は参謀本部が求めたものとし、当時、剱岳を3000m級にして欲しいとする地元の政治的圧力の存在を示唆した。 2004年(平成16年) - ヘリコプターを使った資材輸送により三等三角点が設置され、GPS測量により、三等三角点「剱岳」2,997.07 mが求められた。水平測量による最高点との差を足して「剱岳」の標高は2998.6 mとなり、2,999 mと公式に定まった。このとき、国土地理院により作成された「三等三角点「剱岳」点の記」では、選点日時を「明治40年7月13日」とし、選点者としては『柴崎芳太郎』の名前が記載された。 2009年(平成21年) - 元国土地理院の山田明によるGPSなどによる測量では、2,998.42 mであった(国土地理院の協力による測量)。
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