楊弓場と矢場女とは? わかりやすく解説

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楊弓場と矢場女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 03:26 UTC 版)

楊弓」の記事における「楊弓場と矢場女」の解説

江戸時代に入ると、神社盛り場などで、楊弓場ようきゅうば)または矢場(やば)と呼ばれる楊弓遊技場設けられるようになった楊弓場には矢拾女・矢場女やばおんな)と呼ばれる、矢を拾ったり客の応対をしたりする女性がいたが、後に娼婦役目を果たすようになったまた、的に的中させた時の景品時代が下るにつれて高価になっていったことから、天保の改革では、売春賭博拠点として取り締まり対象となった幕末から明治初期にかけて全盛期迎えた東京へ明治初年浅草奥山浅草寺西側裏手一帯)に楊弓場現れ一般には「矢場」と呼ばれ広まった。店は競って美人矢取り女矢場女・矢拾い女)を置き、男たち人気集めた矢取り女射た矢を集めるのが仕事だが、客に体を密着させて射的方法教えたり、矢を拾う際に足を見せたりして媚び売った戯れに矢拾い女の尻にわざと矢を当てる客もあり、それをうまくかわす女の姿がまた客を喜ばせた。店裏で売春もし、客の男たちは女の気を引くために足繁く通い出費身を滅ぼす者も出た。しかし、次第値段の安い銘酒屋その人気を奪われ明治中期以後急速に衰退した東京では関東大震災影響もあって、昭和に入る頃には楊弓場矢場姿を消したという。 1877年東京楊弓店繁盛し東京警視庁風紀悪化傾向防止のため、楊弓店取締規則さだめた

※この「楊弓場と矢場女」の解説は、「楊弓」の解説の一部です。
「楊弓場と矢場女」を含む「楊弓」の記事については、「楊弓」の概要を参照ください。

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