植松家の人々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 06:47 UTC 版)
植松家(うえまつけ)は、江戸時代から続く静岡県沼津市原の名士。武田氏の家臣であった初代出雲季重(?-1623)が、東海道原宿に移住したところから始まる。2代・3代は百姓名の理兵衛、4代以降は与右衛門を名乗っている。 4代逵季(1660-1743)が白隠慧鶴の後援者となり、6代季英蘭溪(1729-1809)が帯笑園を整えたことで知られている。7代季興(1774-1831)は京の円山応挙に弟子入りし、応令の号を授かった。家督相続のため原に戻ることになった季興に、応挙が「双鶴図」を贈っている。応令の作品として「西王母図」ほか数点が伝わっている。 8代季敬(1807-1886)は、漢詩を頼山陽、画を岸駒、書を巻菱湖に学んだとされ、書扇面が伝わっている。 植松家は、本家・分家・新宅の三つの家系に分かれている。分家である次郎右衛門家の植松東渚(?- 1806)は国学者であり、1786年(天明6年)『駿州名勝志』を刊行した。新宅である植松碧の妻・植松ちよ(1901−1984)は、静岡県保母会初代会長を務めた 。
※この「植松家の人々」の解説は、「帯笑園」の解説の一部です。
「植松家の人々」を含む「帯笑園」の記事については、「帯笑園」の概要を参照ください。
- 植松家の人々のページへのリンク