植松の渡し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 23:55 UTC 版)
植松橋が開通する以前は植松の渡しと呼ばれる小川道に属する船二艘を有する官設の渡船で対岸を結んでいた。渡船場はいつから存在していたかは定かではないが徳川幕府が渡船場に橋を架けることを禁じたことから遅くとも1867年(慶応3年)12月9日までには存在していたと考えられる。場所は現在の橋のやや下流側に位置していたが瀬の位置が変わる度にそれに合わせて渡船場の場所を変えていた。馬渡しも行われ、2艘ある内の1艘は荷馬車を積載できる馬船もしくは耕作船と呼ばれる大型の船を運行していた。大政官令により架橋が解禁された1871年(明治4年)より減水期である冬場を中心に木造の板橋による仮橋が架けられるようになった。渡船の運行は6時から20時までだが、時間外でも船頭に知らせて利用したいことを告げろことで渡してもらえた。渡船賃(通行料)は運行時間内であれば無料であった。渡船の廃止時点である1951年(昭和26年)までは県が運営を行っていた。
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