李子春とは? わかりやすく解説

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李子春

(桓祖 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/27 05:05 UTC 版)

李 子春(り ししゅん/イ・ジャチュン、延祐2年(1315年) - 至正21年4月30日1361年6月3日[注 1])は、高麗末期の武臣。モンゴル名は吾魯思不花(ウルスブハ)。李氏朝鮮を創建した李成桂の父。廟号は桓祖。


注釈

  1. ^ 斗山世界大百科事典
  2. ^ rootsinfo
  3. ^ 『国朝紀年』「貞淑王后崔氏籍登州」
  4. ^ 東国輿地勝覧』巻48『定陵碑』「皇曾祖諱行里、襲封千戸、今封翼王、陵號曰智、配登州崔氏、今封貞妃、陵號曰淑」
  5. ^ 池内宏 『李朝の四祖の伝説とその構成』中央公論美術出版〈満鮮史研究 近世編〉、1972年、14-15頁。 
  6. ^ 池内宏 『李朝の四祖の伝説とその構成』中央公論美術出版〈満鮮史研究 近世編〉、1972年、37頁。 
  7. ^ 六反田豊 1986, p. 45
  8. ^ 六反田豊 1986, p. 77
  1. ^ 『李子春神道碑』と『太祖実録』によれば、『高麗史』の記録より1年前の庚子年(1360年)4月甲戌日に李子春が死亡したと伝えている。


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