柳京_(朝鮮人民軍)とは? わかりやすく解説

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柳京 (朝鮮人民軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/27 22:16 UTC 版)

柳京(柳敬)
各種表記
ハングル 류경
漢字 柳京(柳敬)
発音: リュギョン
日本語読み: りゅうきょう、りゅうけい
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柳京、または柳敬류경、リュギョン[1][2]生年不明 - 2011年2月)は、朝鮮民主主義人民共和国政治家軍人。国家安全保衛部(国家保衛省の前身)副部長、朝鮮人民軍上将を務めた。日本では、2002年(平成14年)9月の日朝首脳会談のお膳立てをした「ミスターX」として知られる[3][4]。2011年初頭に失脚し、銃殺刑に処された[5][6]

生涯

外交分野での活躍

柳京の生い立ちについては不明である。ただし北朝鮮の資料によると、2002年の日朝首脳会談(1回目)で彼の諜報活動が成果を挙げたと示している[注釈 1]。日本側の報道では同首脳会談実現のための秘密交渉を担った人物として知られる[3][4]。その際、カウンターパートであった日本国外務省アジア大洋州局長の田中均に対して名前すら明かさなかったため、日本政府内で「ミスターX」と呼ばれていたことも知られている[2][3][4]。日朝首脳会談において北朝鮮側に有利な環境をつくったと評価され、この頃より当時の最高指導者である金正日総書記の腹心として台頭したとされる[5]。柳京は、その実力を認められ、この協議の場で日本側の要求に即答することを許されるほどの裁量権を与えられていたといわれる[8]。また、体制への忠誠心が厚く、金正日から絶大な信頼を得ており、金正日の義弟にあたる張成沢を含めた側近の動向を監視させてもいた[6]国家安全保衛部の副部長のなかでも最も強い権限をもち、「金総書記と2人きりで酒を酌み交わす仲」と呼ばれた[3][注釈 2]。国家安全保衛部は、「金王朝」を支えるために、反体制派の政治犯スパイ、不満分子を摘発する秘密警察を束ねる機関で、保衛部によって逮捕された場合には拷問をともなう苛烈な取り調べが行われることで知られている[4]

2008年6月、中国北京市で開かれた日朝実務者協議では、北朝鮮による日本人拉致問題について、日本側から、全ての拉致被害者の帰還と真相の究明、被疑者の引渡しを改めて求めるとともに、北朝鮮側が拉致問題を含む両国間の諸懸案の解決に向けて努力する場合、日本側も北朝鮮に対してとっている制裁措置等の一部を解除する用意があることを伝え、北朝鮮側の具体的行動を求めた[9]。その結果、北朝鮮側は、「拉致は解決済み」という従来の見解を若干見直して、今後拉致問題の解決に向けた具体的行動をとるため、再調査を実施することを約束した[9][注釈 3]。この時点では柳京はまだ健在であり、水面下での交渉も進んでいた[4]

2009年3月17日、彼はアメリカ合衆国の女性ジャーナリスト2人の拉致を指示した[5]。柳京は、テレビ局に属する2人がインタビューのため中朝国境に向かうという情報を得て、中国在住の朝鮮族を買収し、観光ガイドを装って記者2人を豆満江流域に連れていき、あたかも北朝鮮領内に入ったように錯覚させた上で、軍人も動員して北朝鮮に連行した[5]バラク・オバマ合衆国大統領は、彼女たちの救済のためビル・クリントン元大統領を平壌に派遣したが、その際、クリントンが金正日総書記の面前で頭を下げたとして大きく喧伝された[5]。柳京の「功績」は表彰され、2つの共和国英雄称号を授けられた[3][5]

粛清

2009年から2010年にかけて、国家安全保障部は韓国諜報機関である国家情報院(国情院)と秘密裏に接触し[10]、金正日総書記と李明博韓国大統領との南北首脳会談開催を模索していた[11]。2010年12月には、ソウルを訪問して国情院次長の金塾(キムスク)らと直接会談した[1][注釈 4]。しかし、12月5日、柳京は、李大統領から面会を断られ、十分な成果が得られないまま北朝鮮に帰国した[6][注釈 5]。このとき、柳京はソウル滞在を1日延長して李明博と面会するために粘ったが、帰国後に提出した報告書でその際の行き先をきちんと記載しなかったことが問題視された[6][11]アメリカ中央情報局(CIA)や国情院の情報によれば、柳京らの報告を受けた金正日が、「なぜ大統領に会えないとわかったら、さっさと荷物をまとめて帰ってこないのか。なぜ3日もいたのか」とひどく憤ったという[11]

2011年2月、柳京は失脚し、韓国に機密を漏らしたというスパイ容疑で逮捕され、処刑された[4][11][12]。ソウル滞在で延長した日程の詳細が不明だったことや、その後の捜査によって柳の自宅から数十万ドルの現金が発見されたこともあり[11]在日コリアンだった柳京の妻を除き、家族全員が平壌の自宅で銃殺された[6][13]。彼の夫人は朝鮮労働党の指示によって「強制離婚」させられ、生命だけは助かった[6][13][注釈 6]

「賄賂と不正蓄財」という容疑も加わった[5][12]。柳京の粛清は公開処刑で、朝鮮労働党朝鮮人民軍、北朝鮮政府の幹部らが注視する中で執り行われたという[5][注釈 7]。処刑方法は銃殺刑で、99発の銃弾が撃ち込まれたとも報道された[5]。北朝鮮当局はまた、処刑に立ち会った人々に忠誠の宣誓書のようなものを書くよう依頼したとも伝わっている[5]

この粛清劇の背景には、張成沢がいたとみられている[6][3]。張成沢は、金正日より金正恩への権力継承が円滑に進むため、先軍政治によって肥大化した朝鮮人民軍、独裁政治を支えてきた秘密警察である国家安全保衛部、それに、党や軍事の人事を一手に握り、最強の党機関として勢威を振るう労働党組織指導部の権力を削ぐよう、内命を下されていた[3]。張成沢は、この命令を忠実に守った[3]。組織指導部の権力縮小は、李勇哲(2010年4月に心筋梗塞で死去)と李済剛(2010年6月に交通事故で死去)の相次ぐ死によって実現したが、これが張成沢の仕業であることを知らない者は平壌にいなかったといわれている[注釈 8]。張成沢はまた、人民軍に対しては、その豊富な資金源を断つことによって軍の弱体化をはかった[14]。そして、国家安全保衛部の場合は、柳京が標的となった[3]。最終的には、金正日が張成沢の報告を基に、権勢を振るう柳京粛清の機会を得たというに等しい[11]。本来であれば、「反党反革命分子」を摘発し、「銃殺する側」の人間であった国家安全保衛部のナンバー3が、いともたやすく銃殺されてしまったわけである[12]。なお、すべては自身の義理のにあたる金正恩のために動いたはずの張成沢であったが、彼は2013年に「傲慢な態度」や「政治的野心を抱いている」ことなどを理由に、ほかならぬ金正恩によって粛清されている[12][14][注釈 9]

柳京粛清の際、彼の部下たちも責任を問われたが、日本との連絡役を務めた1名のみは許されて「ストックホルム合意」に至るまでの一連の対日交渉にたずさわったという[4]

脚注

注釈

  1. ^ 脱北した張哲賢の情報によれば、日朝首脳会談後の平壌では「小泉首相は将軍様の領導に、頭を下げて平壌を訪問した、拉致を認定すれば(「拉致を解決すれば」ではなく)日本政府は北朝鮮に100億ドルを支払う(と約束した)」という内容を記した極秘のペーパーが配られ、「我が国の戦略が勝った、日本がそれに乗ってきた」という雰囲気で祝賀ムードであったという[7]
  2. ^ 国家安全保衛部のなかでは、「第1副部長」の位置にあったとする見解がある[3]。一方、韓国情報筋によれば、金正日が空席の部長を実質的に兼ねており、3人いる副部長のなかで彼は「第1副部長」ではなかったが、最も若い彼が実質的な力をもっていたという[4]
  3. ^ こうした歩み寄りの背景には、2006年に初の核実験をおこなった北朝鮮に対し、それまで「悪の枢軸」と名指しし、敵視してきたアメリカ合衆国が核放棄を求めて柔軟路線に転じ、2007年の六者会合では60日以内の核施設稼働停止の見返りにエネルギー支援を約束、さらに、テロ支援国家指定解除の方向を示すといった国際情勢の変化があった[4]
  4. ^ 当時、2010年3月の天安沈没事件(北朝鮮潜水艦魚雷攻撃による韓国軍哨戒艦艇の沈没事件)や同年11月の北朝鮮軍による延坪島砲撃事件などがあり、南北関係が極端に悪化していた[11]。そこで、より大きな枠組みでの打開をはかろうと北朝鮮側が南北首脳会談の開催を再び提案した[11]
  5. ^ 最初に金塾国情院次長が極秘裏に平壌を訪れ、それに答えるかたちで柳京がソウルに赴いた[11]。ソウルでの交渉では、首脳会談について、日時は大筋で合意し、場所は「前2回が平壌だったので次回は平壌以外の地」を主張する韓国と「絶対に平壌」という北朝鮮が対立したが、最終的には平壌に落ち着く気配であった[11]。柳京は、さらに韓国側の意思を確認するため、李明博との面談を強く望んだが、「金塾らが平壌を訪ねた際に金正日と面会できたわけではない」と韓国側に拒否された[11]。柳京は1泊2日の日程を2泊3日に延長して粘ったが、成果は得られなかった[11]
  6. ^ 李明博は2015年2月2日に回顧録『大統領の時間』を刊行したが、そのなかで柳京の実名を明かさないまま、2010年の天安沈没事件・延坪島砲撃事件以後にも北朝鮮の「保衛部要員」が近寄って来たという事実を公開し、彼が韓国訪問以後に処刑されたという情報を中国とアメリカからの伝聞で知ったと明かしている[13]。牧野愛博はこれに対し、2011年の柳京の訪韓を否認しつづけてきた李明博が、回顧録という手段で、これに細かい説明を加えているのは偽善的だと批判した[13]
  7. ^ 2010年3月には労働党企画財政部の朴南基部長も、貨幣改革失敗の責任を取らされ、公開処刑されている[5]
  8. ^ 張成沢が、李済剛らの密告により2003年に一時失脚したこともある[3]。金正日は双方をお互いに監視させて、自身の独裁を維持しようとしたのである[3]
  9. ^ 張成沢は、彼によって権力を奪われた軍、組織指導部、国家安全保衛部の関係者からは強い恨みを買い、新指導者である金正恩に対して事あるごとに「張成沢が権力を狙っている」との讒言が繰り返された[14]2012年に張成沢が訪中団を率いて北京で胡錦涛国家主席と会談した際、張は胡より「あなたが中心となって北朝鮮の改革開放を進めて欲しい」といわれたという[14]。この話を金正恩は彼と個人的に親しい中国共産党政治局常務委員周永康より聞いてから、張成沢に対し疑念をもったという[14]。なお、張成沢粛清に際しては、部下の張秀吉党行政部副部長、李龍河党行政部第一副部長、親族の張勇哲マレーシア大使(張成沢の甥)、全英鎮キューバ大使(張成沢の義兄)も処刑された[12]

出典

  1. ^ a b 牧野愛博 (2020年12月13日). “韓国情報機関、なぜ権限縮小 テロ防止と政治弾圧の実態”. 朝日新聞 (朝日新聞社). https://www.asahi.com/articles/ASNDB3V1ZND7UHBI015.html 2025年9月26日閲覧。 「・10年12月 北朝鮮の柳敬(リュギョン)国家安全保衛部第1副部長が訪韓し、金塾(キムスク)国情院次長らと会談」
  2. ^ a b 鈴木拓也 (2021年10月18日). “日朝交渉、消えたキーマン 粛清か?拉致被害者帰国の「パイプ役」”. 朝日新聞 (朝日新聞社). https://www.asahi.com/articles/ASPBG33T2PB6UHBI01Q.html 2021年10月30日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 牧野(2021)pp.86-88
  4. ^ a b c d e f g h i 鈴木(2024)pp.176-179
  5. ^ a b c d e f g h i j k 情報源=中央日報 (2011年9月21日). “慘!朝鮮國安副部長被99發子彈槍決” (中国語). 看中國. 2025年9月26日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g 北朝鮮幹部 今年すでに15人粛清…政敵の陰謀で家族も銃殺、権力内部は「一寸先は闇」”. DailyNK Japan(デイリーNKジャパン). 2019年11月15日閲覧。
  7. ^ 櫻井よしこ (2009年1月8日). “小泉元首相は"拉致問題"で1兆円支払いを"密約"していた!”. 週刊新潮. 2025年9月26日閲覧。
  8. ^ 鈴木拓也 (2018年11月29日). “安倍官邸が主導する日朝秘密交渉の行方(ページ2)”. 論座. 2021年10月30日閲覧。
  9. ^ a b 拉致問題をめぐる日朝間のやり取り”. 外務省 (2024年3月13日). 2025年8月22日閲覧。
  10. ^ 牧野愛博 (2017年6月26日). “朴前政権、「対話」見切り対決路線 正恩失脚・暗殺計画”. 朝日新聞 (朝日新聞社). https://www.asahi.com/articles/ASK6T5S0ZK6TUHBI01N.html 2021年10月30日閲覧。 
  11. ^ a b c d e f g h i j k l 牧野(2021)pp.88-89
  12. ^ a b c d e 辺真一. “相次ぐ処刑の実態は金正恩委員長の「なめたらあかんぜよ!」- Yahoo!ニュース”. Yahoo!ニュース 個人. 2025年9月26日閲覧。
  13. ^ a b c d “北朝鮮、柳敬副保衛部部長一家・在日韓国人の妻を除き処刑していた”. wow Korea. (2015年2月3日). https://www.wowkorea.jp/news/read/138592.html 2025年9月26日閲覧。 
  14. ^ a b c d e 牧野(2021)pp.89-91

参考文献

関連項目




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