松本鼎_(陸軍軍人)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 松本鼎_(陸軍軍人)の意味・解説 

松本鼎 (陸軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/04 05:37 UTC 版)

松本 鼎(まつもと かなえ、1856年2月10日安政3年1月5日) - 1928年1月23日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将位階正四位勲等勲二等・軍功は功三級

経歴

島根県簸川郡大社町で、出雲国造千家家北島家に仕える士族松本礼次郎の長男として生まれる。父は美保関町森山出身の志士・松本古堂(巌)の門人で、以前は寺本易直と名乗っていたが、養子に入り礼次郎となった。

1878年(明治11年)12月、陸軍士官学校(旧2期)を卒業し、翌年2月、砲兵少尉任官。1901年(明治34年)2月、野戦砲兵第12連隊長に就任。1902年(明治35年)11月、砲兵大佐に昇進した。

1903年(明治36年)5月、陸軍野戦砲兵射撃学校長となり、1904年(明治37年)2月、第1軍砲兵部長に発令され日露戦争に出征。1906年(明治39年)7月、野戦砲兵第10連隊長に異動し、1907年(明治40年)11月、陸軍少将に進級し野戦砲兵第3旅団長となった。

1912年(明治45年)7月、野戦砲兵第1旅団長に発令され、1913年(大正2年)7月、陸軍中将に進み東京湾要塞司令官に就任した。1914年(大正3年)5月に待命となり、同年8月、予備役に編入された。1919年4月1日、後備役となる[1]。昭和3年1月20日、東京に於いて卒去。墓所は杵築の神光寺。

栄典

位階
勲章等

脚注

  1. ^ 『官報』第2008号、大正8年4月16日。
  2. ^ 『官報』第5888号「叙任及辞令」1903年2月21日。
  3. ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
  4. ^ 『官報』第150号「叙任及辞令」1913年1月31日。
  5. ^ 『官報』第627号「叙任及辞令」1914年9月2日。
  6. ^ 『官報』第3671号「叙任及辞令」1895年9月21日。
  7. ^ 『官報』第3862号・付録「辞令」1896年5月16日。
  8. ^ 『官報』第5960号「叙任及辞令」1903年5月18日。
  9. ^ 『官報』第539号「叙任及辞令」1914年5月18日。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松本鼎_(陸軍軍人)」の関連用語

松本鼎_(陸軍軍人)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松本鼎_(陸軍軍人)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松本鼎 (陸軍軍人) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS