松平頼泰 (水戸藩)とは? わかりやすく解説

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松平頼泰 (水戸藩)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/11 03:28 UTC 版)

 
松平 頼泰
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛永8年4月27日1631年5月28日
死没 享保2年7月5日1717年5月15日
改名 左近→松平頼泰
別名 通称:左門
号:懐軒
官位 従四位下
幕府 江戸幕府
主君 徳川光圀綱條
常陸水戸藩御附家老
氏族 水戸徳川家→長倉松平家
父母 父:徳川頼房、母:耶々
兄弟 頼重、通子、亀丸、万、棄、大姫徳川光圀、菊、小良頼元頼隆頼利頼雄頼泰、頼以、利津、房時、布里、雑賀重義、犬、千、竹、梅、市、松、那阿
伊与
頼福、泰通、泰寛、紺、小耶々
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松平 頼泰(まつだいら よりやす)は、江戸時代前期から中期にかけての武士常陸国水戸藩御附家老を代々務めた長倉松平家の祖。

略歴

寛永8年(1631年)4月27日、常陸水戸藩初代藩主・徳川頼房の八男として江戸山手邸にて誕生した。母は興正寺住職准尊の娘耶々[1]

異母兄である徳川光圀から3千石を与えられ、のちに1千石を加増されて4千石となる。貞享4年(1687年)7月10日に家督を長男頼福に譲り、隠居して懐軒と号す。享保2年(1717年)7月5日に87歳で死去した。

系譜

  • 妻:伊与 - 蓮乗娘
    • 三男:泰寛
    • 次女:小耶々
  • 侍妾:目賀田氏
    • 長男:頼福
  • 侍妾:六(堀江氏)
    • 次男:泰通
  • 侍妾:渡邊氏
    • 長女:紺

出典

  1. ^ 母方の祖父・准尊は石山戦争で知られる本願寺門主・顕如の孫にあたり、母方の祖母・古満姫(宍戸元秀の娘)は毛利元就の曾孫にあたる。



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