東海軍管区
(東海軍管区 (日本軍) から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/02 17:39 UTC 版)
東海軍管区(とうかいぐんかんく)は、大日本帝国陸軍の軍管区の一つ。第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)2月1日に設けられた東海軍管区司令部が、愛知県・岐阜県・静岡県・三重県・石川県・富山県に相当する地域の軍政を統括した。
歴史
大日本帝国陸軍創設当初この地域は名古屋鎮台の管轄区域である第3軍管であった。その後1888年(明治21年)鎮台が師団に改編され、第3師団が管轄する区域、即ち第3師管となった。陸軍管区表では、愛知県・三重県・静岡県・石川県・富山県・岐阜県・福井県が第3師管に属した。
1898年(明治31年)に第9師団が設置され、石川県・富山県・岐阜県・福井県は第9師管に移り、第3師管は愛知県・三重県・静岡県となった。1905年(明治38年)の第15師団設置に伴い静岡県は第15師管に移ったが、1925年(大正14年)の宇垣軍縮に伴い第3師管に戻り、同時に三重県は第16師管に移り、第3師管は愛知・静岡・岐阜、第9師管区は石川・富山・福井のそれぞれ三県となった。師管の名称に地名を冠したのは1941年(昭和16年)8月5日の陸軍管区表(昭和16年軍令陸第20号)からで、第3師管は名古屋師管となり、第九師管は金沢師管となった。
軍管区司令部
1945年(昭和20年)2月1日から大本営は本土決戦を睨み、内地の軍の編制を改め作戦と軍政の分離が推し進められ、それまで師団長が連隊区司令部を管掌し徴兵事務を総理していたものを師管区司令部を設ける事によって師団長からその事務を移管し、新設の地区司令部を管掌した。内地にある各部隊を作戦部隊・管区部隊に分け、作戦部隊は方面軍の隷下とし、管区部隊についてはそれまでの軍司令部を復員して新に方面軍司令部が兼ねる軍管区司令部とその隷下に師管区司令部を新設、常設師団が管掌していた管区業務などの軍政を引き継いだ師管区司令部を軍管区司令部を兼ねた方面軍司令部の隷下に置き、統一指揮とした。また、地方行政協議会の管轄区域とも一致させる為、在来の軍管区(東部、中部、西部、北部、台湾、朝鮮、関東)の他に東北・東海・四国・中国の四つの軍管区司令部も方面軍(中国・四国については軍)司令部が兼ねることとした。そして方面軍の作戦区域と軍管区司令部の管轄区域が整合した。
第13方面軍司令部が兼ねた東海軍管区司令部に隷属する名古屋師管区司令部と金沢師管区司令部は、同年4月1日留守第3師団司令部と留守第52師団司令部を改称して編成された。名古屋師管区司令官には鷲津鈆平中将が補され、愛知・岐阜・静岡に三重が加わった四県の軍政を、金沢師管区司令官には藤田進中将が補され、石川・富山の二県の軍政を担当した。
管区の変遷
- 初期の軍管
- 1873年(明治6年) - 名古屋鎮台の管轄区域として第三軍管が発足。
- 第三軍管 - 愛知県・三重県・静岡県・石川県・富山県・岐阜県・福井県
- 師管区(師団名)
- 1888年(明治21年) - 名古屋鎮台を第3師団に改編。
- 第三師管 - 愛知県・三重県・静岡県・石川県・富山県・岐阜県・福井県
- 1898年(明治31年) - 第9師団創設後。
- 第三師管 - 愛知県・三重県・静岡県
- 第九師管 - 石川県・富山県・岐阜県・福井県
- 1905年(明治38年) - 第15師団創設後。
- 第三師管 - 愛知県・三重県・岐阜県
- 第九師管 - 石川県・富山県・福井県
- 1925年(大正14年) - 宇垣軍縮後。
- 第三師管 - 愛知県・岐阜県・静岡県
- 第九師管 - 石川県・富山県・福井県
- 師管(地名)
- 1941年(昭和16年) - 師管の呼び方を師団名から地名に変更。
- 名古屋師管 - 愛知県・岐阜県・静岡県
- 金沢師管 - 石川県・富山県・長野県
- 東海軍管
- 1945年(昭和20年) - 本土決戦に備え第13方面軍司令部が東海軍管区司令部を兼ねる。
- 東海軍管区 - 愛知県・岐阜県・静岡県・三重県・石川県・富山県
司令部人事
- 姓名、階級、補職、免職の順に表示した。
- 司令官および参謀長は第13方面軍の職が本職、東海軍管区の職が兼職。参謀副長および部長は東海軍管区の職が本職、第13方面軍の職が兼職。
歴代司令官
歴代参謀長
- 藤村益蔵 少将:1945年2月1日[1] - 7月5日[2](兼職)
- 柴田芳三 少将:1945年7月5日[2] - (兼職)
- 重安穐之助 少将:1945年 - 10月22日[3](東海軍管区参謀長職のみ)
- 徳永鹿之助 少将:1945年10月22日[3] - (東海軍管区参謀長職のみ)
歴代参謀副長
歴代兵務部長
歴代兵器部長
歴代経理部長
歴代軍医部長
- 鈴木進 軍医少将:1945年1月29日[7] - (本職)
歴代獣医部長
- 簗瀬元 獣医大佐:1945年1月29日[7] - (本職)
歴代法務部長
- 岡田痴一 法務大佐:1945年1月29日[7] - 9月19日[8](本職。後、東海軍管区法務部長職のみ)[注釈 2]
- 隅水準一郎 法務大佐:1945年9月19日[8] - (東海軍管区法務部長職のみ)
最終所属部隊
- 名古屋師管区
- 金沢師管区
- 野戦重砲兵第2連隊補充隊:高橋民治 中佐(最終位置:三島)
- 野戦重砲兵第3連隊補充隊:守屋真幸 大佐(陸士27期、最終位置:三島)
- 名古屋俘虜収容所:大竹道三 予備役中佐(陸士21期)
- 東海軍管区臨時軍法会議
- 東海軍管区防疫部:飯田康雄 軍医少佐
- 第9野戦補充馬廠
- 陸軍病院
- 金沢第1陸軍病院:野中利貞 軍医大佐(最終位置:武利)
- 大宮陸軍病院:宮本三郎 軍医少佐
- 豊橋陸軍病院:樋口兼義 軍医中佐
- 三島陸軍病院:石井守三 軍医少佐
脚注
注釈
出典
- ^ a b 「陸軍異動通報 第24号 昭和20年2月1日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120932700
- ^ a b 「陸軍異動通報 第152号 昭和20年7月6日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120947300
- ^ a b 「陸軍異動通報 第4号 昭和20年11月10日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120963400
- ^ 「陸軍異動通報 第101号 昭和20年5月1日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120957500
- ^ a b 「陸軍異動通報 第127号 昭和20年6月1日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120960000
- ^ 「陸軍異動通報 第39号 昭和20年2月22日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120934200
- ^ a b c d e 「陸軍異動通報 第22号 昭和20年1月30日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120932500
- ^ a b 「陸軍異動通報 第2号 昭和20年9月30日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120963300
関連項目
参考文献
- 東海軍管区のページへのリンク