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徳永鹿之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/11 15:33 UTC 版)

徳永 鹿之助
生誕 1899年2月27日
日本 山口県
死没 (1971-09-04) 1971年9月4日(72歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1920年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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徳永 鹿之助(とくなが しかのすけ、1899年明治32年)2月27日[1] - 1971年昭和46年)9月4日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

経歴

1899年(明治32年)に山口県で生まれた[1]陸軍士官学校第32期[2][注釈 1]を卒業し、1920年(大正9年)12月26日陸軍工兵少尉に任官された[4]陸軍大学校第41期卒業[3]。フランス駐在を経て[2]1937年(昭和12年)3月31日陸軍大臣秘書官兼副官に就任[2]1938年(昭和13年)7月15日侍従武官に転じ[2]1940年(昭和15年)8月1日陸軍工兵大佐に進級した[2]1942年(昭和17年)3月2日北支那方面軍作戦課長に就任し[2]、中国戦線に出征[1]

1944年(昭和19年)8月1日に陸軍少将進級と同時に北支那方面軍参謀副長に着任[1][2]1945年(昭和20年)2月1日第36軍参謀長(第1総軍第12方面軍)に就任し[1][3]埼玉県浦和で終戦を迎えた[1][3]。終戦後は東海軍管区司令部附を経て、10月22日に東海軍管区参謀長に着任[5]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]1949年(昭和24年)5月18日、九州に行幸する昭和天皇お召し列車徳山駅に停車した際に拝謁する機会を得た[7]

脚注

注釈

  1. ^ 日本陸軍将官辞典では30期卒業である[3]

出典

  1. ^ a b c d e f g 福川 2001, 493頁.
  2. ^ a b c d e f g 外山 1981, 438頁.
  3. ^ a b c d 福川 2001, 494頁.
  4. ^ 外山 1981, 437頁.
  5. ^ 第4号 昭和20年11月10日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120963400 
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」163頁。
  7. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、819頁。ISBN 978-4-487-74411-4 

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。 ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。 ISBN 4829500026 



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