東山御物と茶道具
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 20:55 UTC 版)
信長の時代における茶道具の名物とは、室町将軍家が所蔵した御物を意味する。こうした御物は俗に東山御物と称されるが、その実態は足利義満・足利義持・足利義教を中心として、唐物(明や朝鮮からの輸入品)の進物・献上を母胎とし、同朋衆によって目利きされ将軍の元に集められたものと考えられる。御物は将軍御座所の室礼として用いられて将軍の権威の象徴となり、その内容は『君台観左右帳記』に纏められた。こうして価値づけをされた御物は、足利義政の時代に幕府の困窮により市場に流出し、東山御物と呼ばれるようになる。 一方で、室町期には将軍の御成が政治的儀礼となっていく。将軍を迎える戦国大名は、その場所を御座所同様に設える必要があった。その座敷飾りの手本として『君台観左右帳記』が用いられるようになるが、大名は単にこれを手本とするだけでなく、市場に流出していた御物を豪商を仲介して蒐集し、室礼に用いるようになる。やがて御物を中心とした座敷飾りは、家の格式を示すための政治的な意味を持つようになる。 また市場に流通するようになった御物は、大名や商人の間で名物茶器として認知されるようになってくる。『君台観左右帳記』の内容は簡略化され、茶の湯における台子飾りへと変化し、唐物を鑑賞しながら茶を飲むようになる。山上宗二が著書『山上宗二記』に「古今唐物を集、名物之御厳り全く数寄人は、大名茶湯と云也」と記したように、こうした唐物を鑑賞する茶会は大名茶湯と呼ばれ、現代の茶道に繋がるわび茶とは別の系統となって発展した。やがて大名は名物飾りの茶会を催して権力を誇示するようになるが、神津朝夫は、信長はこうした茶会を松永久秀を真似たのだろうとしている。
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