東京府青山師範学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 04:43 UTC 版)
「青山北町アパート」の記事における「東京府青山師範学校」の解説
青山北町アパートの所在地は、師範学校や東京府立の旧制中学校など、いくつかの学校の跡地である。 初めは1900年(明治33年)、東京府師範学校、および東京府師範学校附属小学校 がそれまでの小石川区竹早町からこの地(当時の赤坂区青山北町5丁目)に移転・開校した。1908年(明治41年)には東京府青山師範学校、および東京府青山師範学校附属小学校とそれぞれ改称し、1936年(昭和11年)に下馬町(現在の世田谷区)に移転するまで 当地にあった。 師範学校と同附属小学校の移転後にはいくつかの府立新設中学校等が一時的に仮校舎としてこれを使用した。1937年(昭和12年)から翌々年まで東京府立第十中学校(都立西高校の主な前身)が、1939年(昭和14年)から翌年まで東京府立青年学校教員養成所が置かれた。さらに、1940年(昭和15年)には東京府立第十五中学校(都立青山高校の主な前身)がここに開設された。 しかしながら、諸々の学校によって使われたこれら校舎・施設は、1945年(昭和20年)5月のアメリカ軍による東京大空襲によって焼失、第十五中学校もこれによって当地での教育が続けられなくなり、終戦後も当地に戻ることはなかった。 著名な卒業生には、男爵・團琢磨の孫で作曲家の團伊玖磨などがいる。 かつて学校があった青山北町アパートの青山通り側入り口付近には、東京府師範学校(東京府青山師範学校)の同窓生によって1972年(昭和47年)に建てられた記念碑が存在する。
※この「東京府青山師範学校」の解説は、「青山北町アパート」の解説の一部です。
「東京府青山師範学校」を含む「青山北町アパート」の記事については、「青山北町アパート」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から東京府青山師範学校を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から東京府青山師範学校を検索
- 東京府青山師範学校のページへのリンク