条約の問題点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 17:12 UTC 版)
「部分的核実験禁止条約」の記事における「条約の問題点」の解説
この条約では、地下での核兵器実験禁止が除外されていたため、この条約成立の後も核開発国により地下核実験が繰り返し行われ、放射能汚染は地下に限定されたが(ただしソ連はチャガン核実験などの半地下実験を多数行い、地上への放射能汚染を引き起こした)、大国の核兵器の開発は引き続き進行した。また、後のNPTによる核保有5カ国のうち、核開発でアメリカ・イギリス・ソ連に対して遅れをとっていたフランスと中国は反対し、条約への不参加を表明した。 フランス・中国の立場から見ると、核開発で先行している米ソ両大国が核戦略で優位を保ち、後発国の参入を阻止する条約と映った。当時、両国はすでに核開発に着手していたが、地下核実験の技術をもっていなかった。フランスは1960年2月にサハラ砂漠で最初の核実験を行い、この条約の後の1966年にNATO(北大西洋条約機構)の軍事機構を脱退し、アメリカ・イギリスなどと一定の距離を置く独自の路線を歩むことになった。また、共産圏の中国も当時、中ソ対立でソ連との対立が深まりつつあり、独自の核開発路線へと向かい、1964年10月に新疆ウイグル自治区で原爆実験を強行した。 その他、アメリカで立案されていた核パルスエンジンにより宇宙飛行を行うオリオン計画が中止された
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