村上 龍太郎

芸名 | 村上 龍太郎 |
芸名フリガナ | むらかみ りゅうたろう |
性別 | 男性 |
生年月日 | 1976/5/23 |
星座 | ふたご座 |
干支 | 辰年 |
身長 | 174 cm |
体重 | 70 kg |
URL | https://haikyo.co.jp/profile/profile.php?ActorID=11661 |
プロフィール | 主に舞台に出演し、活躍する。主な出演作品は、舞台『茶飲み兄弟』『横須賀ドブ板物語』『あらしのよるに』『姫山恋花簪』『早春スケッチブック』など。趣味は水泳・卓球。方言は大阪弁。声はハイバリトン。 |
代表作品1 | 舞台『ON AIR』司会役 |
代表作品2 | 舞台『見果てぬ夢』新藤役 |
代表作品3 | 舞台『アンチェイン・マイハート』佐々木博役 |
職種 | 俳優・女優・タレント |
語学 | 大阪弁(泉州弁) |
好きなスポーツ | 水泳/卓球 |
趣味・特技 | 水泳/卓球 |
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村上竜太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/04 07:00 UTC 版)
基本情報 | |
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国籍 | ![]() |
出身地 | 熊本県 |
生年月日 | 1969年8月21日(54歳) |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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村上 竜太郎(むらかみ りゅうたろう、1969年8月21日 - )は、日本の元社会人野球選手(外野手)。三菱重工長崎に選手・コーチとして所属した。
人物・経歴
熊本工大高等学校から三菱重工長崎に入社、兄・和幸と共にプレー。俊足・好守・強打の外野手として1番をはじめ上位打線を一通りこなし、鋭いスイングで長打を量産した。
1999年の第70回都市対抗野球では2番・中堅手で準優勝に貢献した。また2001年の社会人野球日本選手権で優勝した際にはチームメイトの開田博勝と首位打者賞を争い、打撃賞を受賞した。同年のシーズンオフには社会人ベストナインにも選ばれている。
2007年からはコーチ兼任となっている。
エピソード
- 三菱重工長崎に入社した際の条件は「練習生」扱いで、3年でものにならなければ解雇という厳しいものだった。通常の野球部練習にブルペンキャッチャーをした後で個人練習をするなど攻守にわたって努力を重ね、さらに2年目には俊足を活かすため右打者から左打者に転向して出場機会をものにした。
- 野球以外にも空手を特技としていた(黒帯)ことから「空手打法」とも呼ばれた。
- 高校の同期に濱ノ嶋啓志がいる。
日本代表キャリア
- 日本・キューバ選手権日本代表(1994年)
主な表彰・タイトル
- JABA九州大会首位打者賞(1993年)
- 第28回社会人野球日本選手権打撃賞・優秀選手賞(2001年)
- 社会人ベストナイン(2001年)
- 都市対抗野球大会10年連続出場(2006年)
外部リンク
- 三菱重工長崎硬式野球部-LOVE BASEBALL- - 本人インタビューのページがある
村上龍太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/10 09:25 UTC 版)
村上 龍太郎(むらかみ りゅうたろう、1892年(明治25年)1月4日[1] - 1964年(昭和39年)7月31日[2])は、日本の農林官僚。馬政局長官。
経歴
愛媛県出身。1916年(大正5年)、高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学政治科を卒業した[1]。山林属、山林事務官・農商務事務官、特許局事務官・農商務参事官、農林書記官・大臣官房文書課長・統計課長、農務局農政課長を歴任[1]。1931年(昭和6年)、畜産局長となり、1933年(昭和8年)には山林局長に転じた[1]。山林局長在任中は関東軍軍令部附・同顧問を務めた[1]。1937年(昭和12年)、馬政局次長、ついで馬政局長官に就任した[1]。
退官後は日本競馬会副理事長となり、1941年(昭和16年)からは農地開発営団理事長となった[3]。
脚注
参考文献
- 日本官界情報社編 『日本官界名鑑 昭和十三年版』 日本官界情報社、1937年。
- 人事興信所編 『人事興信録 第14版(下)』 人事興信所、1943年。
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固有名詞の分類
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