杉本清による実況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 10:15 UTC 版)
関西テレビのアナウンサー(当時)で競馬実況を主に担当していた杉本清は、阪神3歳ステークスにおいて「見てくれこの脚!これが関西の期待テンポイントだ!」という実況を行った。テンポイントへの個人的な肩入れを実況するスタイル(自らの主観を実況に反映させていたことは杉本自身も認めている)は競馬ファンに強い印象を残した。テンポイントが杉本に与えた影響は大きく、杉本自身「テンポイントがいたから今の杉本清がある」と述べている。杉本によると、阪神3歳ステークスで残した実況が1975年に「さらばハイセイコー」をリリースしたポリドール・レコードの同曲担当スタッフから注目され、杉本を歌手としてテンポイントの音楽レコード制作を企画した。しかし杉本の歌唱力が低かったために歌い手は新人歌手の菖蒲正則に変更された。このレコードは 1976年に『君よ走れ-テンポイント賛歌-』というタイトルで発売された。 テンポイント生涯最後のレースとなった1978年の日経新春杯で関西テレビの実況を担当していたのも杉本だった。レース前には「あたかもテンポイントの門出を祝うかのように、粉雪が舞っている京都競馬場です」と実況し、異変の直後は「ああっと、テンポイントちょっとおかしいぞ、あっとテンポイントおかしい、おかしいおかしい!」「これはどうしたことか、これはどうしたことか、故障か、故障か!テンポイントは競走を中止した感じ、これはえらいこと、これはえらいことになりました」とその衝撃の大きさを伝え、鹿戸が下馬した後には「なんとしても無事でと、なんとしても無事でと願っていた、願っていたお客さんの気持ち、もう‥通じません」「なんともこれはまた、テンポイント故障だ。なんとも言葉がありません…」と無念に満ちた言葉を残した。杉本はテンポイントの骨折後に厩務員の山田幸守が馬場を必死に駆けていく姿を見て言葉が続かなくなってしまったと述べている。
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