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杉本正 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/20 02:59 UTC 版)

杉本 正
西武ライオンズのコーチ時代(2012年)
基本情報
国籍 日本
出身地 静岡県駿東郡小山町中島[1]
生年月日 (1959-05-03) 1959年5月3日(66歳)
身長
体重
172 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1980年 ドラフト3位
初出場 1981年4月7日
最終出場 1992年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

杉本 正(すぎもと ただし、1959年5月3日 - )は、静岡県駿東郡小山町出身の元プロ野球選手投手)・コーチ解説者評論家

実娘はアイドルグループ・LinQの元1期メンバーで、現マネージャーの杉本ゆさ[2]

経歴

プロ入り前

小学6年の時に野球を始め、中学3年の時に一塁手から投手へ転向した[1]御殿場西高校では県内有数の左腕投手として知られたが、甲子園には出場できなかった。1977年夏の甲子園県予選3回戦で袋井高を相手にノーヒットノーランを記録している。

高校卒業後は地元の大昭和製紙へ入社。1979年都市対抗では、後にプロで同僚となる大石友好河合楽器から補強)とバッテリーを組み、1回戦の引き分け再試合で日本通運を完封。準々決勝でも先発し、日産自動車名取和彦と投げ合うが惜敗[3]。同年の第4回インターコンチネンタルカップ日本代表に選出され、日本の準優勝に貢献した。

1980年都市対抗では準々決勝で日本鋼管を完封、準決勝に進出し兄弟チームの大昭和製紙北海道との対戦を実現する。この試合では日本代表のエース竹本由紀夫新日本製鐵室蘭から補強)と投げ合い3-2で競り勝った。決勝でも札幌トヨペットに大勝[3]、この大会で4勝をあげチームの優勝に貢献、最優秀選手の橋戸賞を受賞している[1]。この時のチームメートに上川誠二佐々木正行らがいた。

同年のドラフト会議西武ライオンズから3位指名され入団した[1]

西武時代

1981年の初登板(対日本ハム戦)を完封で飾ると、以降は先発ローテーションの一角として活躍した。8月22日の対南海ホークス戦(上越市高田公園野球場)では4イニング1/3で降板したものの試合が6回で降雨コールドとなり西武が勝利し、公認野球規則10.17b項(勝利投手の規定)の適用外となり5イニングを投げきらないままで勝利投手となった[4]。同年7月31日の南海戦では門田博光に当時の月間最多本塁打記録となる同月16本目の満塁本塁打を打たれた。

1982年中日ドラゴンズとの日本シリーズでは、第2戦と第5戦に先発するが、いずれも途中降板し勝敗はつかなかった。

1983年は3年目にしてシーズン12勝を上げ、読売ジャイアンツとの日本シリーズでも、第3戦と第6戦に先発。活躍が認められ、寮を出て姉と2人暮らしを始めた[5]

中日時代

1985年キャンプイン直前に田尾安志との交換トレードで大石友好とともに中日ドラゴンズに移籍[6][7]

1986年にはチーム最多の12勝を挙げるも13敗を喫している。

1987年には新監督の星野仙一に開幕投手に指名され読売ジャイアンツ戦に先発。吉村禎章駒田徳広にホームランを打たれ、敗戦投手にはなったがこの年は結果的に13勝を挙げた。

1988年は6勝6敗、1988年の日本シリーズ(対西武戦)では古巣相手に第4戦で先発するが4回途中3失点で敗戦投手となった。この頃から肘の故障に苦しみだす。

1989年は肘の故障もあり3勝4敗に終わる。同年8月14日の広島東洋カープ戦では高橋慶彦からサヨナラ本塁打を打たれている。

1990年故障癖もあり登板機会が減っていった。

ダイエー時代

1990年途中に山内和宏との交換トレードで高島覚とともに西武時代の先輩田淵幸一が監督を務める福岡ダイエーホークスへ移籍[1]。移籍後3年ほどは先発、リリーフとして一定の登板機会があった。

1993年は一軍登板無しに終わる。オフに戦力外通告を受け、現役を引退した[1]

現役時代、日本シリーズには先発で5回登板しているが成績は0勝1敗に終わっている。5回以上先発して一度も勝ち投手になれなかったのは高橋直樹北別府学(5回目の先発は杉本より前の1986年第5戦だが、1991年第3戦で6回目の先発)に次いで3人目。中川充四郎によると杉本は1982年の球宴前に全パの監督大沢啓二に懇願して監督推薦でオールスターゲーム初出場を果たしたとされている[8]1987年のオールスターゲームでは石毛宏典に3ランを打たれ敗戦投手[9]

引退後

引退後はRKB毎日放送野球解説者(1994年)を経て、1995年から1997年までダイエー二軍投手コーチを務めた。1998年から西武時代同僚だった監督の東尾修に呼ばれ[10]西武一軍投手コーチ(ブルペン担当)に就任。前年の西武は一軍投手コーチは森繁和が1人が担当していたが1998年からは森、杉本の二人体制になったが前年はチーム防御率2位の3.63だったが、6月15日の時点でチーム防御率4.26と低迷しシーズン途中、投手陣の低迷の責任を取らされ森が二軍へ配置転換となる(二軍から加藤初が1軍へ)[11]故意のボーク疑惑では芝﨑和広にボークでも構わないと指示をした[12]2001年東尾と共に退団。西武退団後はダイエー→ソフトバンクで二軍投手コーチ(2004年 - 2005年)・一軍投手コーチ(2006年 - 2008年)を務めたが、2008年は特に怪我者が多く投手陣が低迷。チーム防御率が2004年以来4年ぶりの4点台と1点近く悪化したことが12年ぶりの最下位の一因となり、この年限りで解任された。救援防御率は4.42と低迷、12球団最下位であった。当時楽天野村克也監督は「杉本がマウンドに行くとホークスの投手はよくストレートを投げるからそれを狙えと指示している。彼はダメコーチ」と杉本を酷評していた[13]。また2007年5月31日、巨人との交流戦で矢野謙次に代打逆転満塁本塁打を打たれた際、評論家の豊田泰光に「稚拙な継投」、「投手の起用法も酷いし、指導力があるとは思えない」と酷評された[14]。後に、所属したすべての球団で投手成績を悪化させたことから「デス杉本」などと揶揄されるようになってしまった。

2009年からは横浜ベイスターズ一軍投手コーチに就任したが、前年同様セ・リーグ唯一の4点台にチーム防御率が低迷し[15]、被安打1326・被本塁打164・失点685・自責点612もリーグ最下位と振るわず1年で解任された。

2010年からは前年優勝した韓国プロ野球起亜タイガース一軍投手コーチに就任したが[16]、チーム防御率は3.92から4.39と低迷し7月23日付で二軍投手コーチに降格となり、チームも6位と低迷、またも1年で解任された。

帰国後は楽天編成部スカウト(2011年)を経て、2012年より、西武の一軍投手コーチとして復帰[17]。同年はチーム防御率5位と低迷し[18]2013年は救援防御率リーグ最下位、勝負所の8月に投手陣が防御率5.23と崩れ[19]、リーグワーストの被本塁打数を記録している[20]2014年より二軍投手コーチに配置転換され[21]、同年10月2日に来季の契約をしないことを通知された[22]

西武退団後は文化放送野球解説者・スポーツニッポン野球評論家(2015年 - 2016年[23]を経て、2017年からは楽天一軍・二軍巡回投手コーチに就任するが、一軍が最下位に低迷した2018年10月5日に来季の契約をしないことを通知された[24]

2019年からはスポーツニッポン野球評論家に復帰。

2020年11月26日放送の宮崎フェニックスリーグ中継にて、スポーツライブ+のゲスト解説者として出演した。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1981 西武 36 21 7 1 0 7 8 2 -- .467 621 145.1 138 16 57 1 2 61 2 1 66 56 3.47 1.34
1982 26 22 6 4 0 7 12 0 -- .368 560 132.2 130 6 51 1 2 60 1 0 59 54 3.66 1.36
1983 26 22 4 2 1 12 6 0 -- .667 571 136.1 133 16 39 2 0 44 0 0 56 52 3.43 1.26
1984 22 22 5 3 1 7 8 0 -- .467 527 124.2 136 12 33 3 0 57 0 0 54 53 3.83 1.36
1985 中日 23 15 4 0 0 5 4 0 -- .556 426 98.2 105 14 32 4 5 60 1 0 49 47 4.29 1.39
1986 31 25 10 3 2 12 13 0 -- .480 733 182.2 163 16 44 4 0 106 2 0 70 61 3.01 1.13
1987 28 28 5 2 0 13 9 0 -- .591 698 158.0 180 23 45 8 6 85 4 0 83 76 4.33 1.42
1988 23 21 1 1 1 6 6 0 -- .500 501 118.2 119 13 36 1 1 92 0 0 56 52 3.94 1.31
1989 23 7 0 0 0 3 4 0 -- .429 225 49.2 60 4 24 1 1 22 2 0 27 22 3.99 1.69
1990 ダイエー 16 13 3 1 0 3 7 0 -- .300 359 78.1 106 9 29 3 2 47 0 0 47 43 4.94 1.72
1991 15 13 1 0 0 3 8 0 -- .273 352 82.2 88 13 19 0 2 41 1 0 46 39 4.25 1.29
1992 29 7 2 1 1 3 5 0 -- .375 278 62.0 81 6 15 1 1 29 0 0 37 34 4.94 1.55
通算:12年 298 216 48 18 6 81 90 2 -- .474 5851 1369.2 1439 148 424 29 22 704 13 1 650 589 3.87 1.36
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

背番号

  • 20 (1981年 - 1984年)
  • 14 (1985年 - 1986年)
  • 21 (1987年 - 1990年途中)
  • 28 (1990年途中 - 1991年)
  • 31 (1992年 - 1993年)
  • 76 (1995年 - 1997年)
  • 70 (1998年 - 2001年)
  • 71 (2004年 - 2005年)
  • 85 (2006年 - 2008年)
  • 77 (2009年)
  • 78 (2010年)
  • 88 (2012年 - 2014年)
  • 73 (2017年 - 2018年)

脚注

  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、289ページ
  2. ^ LinQ卒業の杉本ゆさ、来季楽天コーチの父・正氏と“本音”対談 アイドルの親の心境は…”. スポニチアネックス (2016年12月15日). 2024年4月15日閲覧。
  3. ^ a b 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  4. ^ アレっ、先発で4回途中KOなのに…杉本正、特例の白星”. スポーツニッポン. 2011年11月15日閲覧。[リンク切れ]
  5. ^ 【プロ野球OBに会いに行く】広岡さんの食事制限が辛すぎて寮出ました【杉本正】【高橋慶彦】 - YouTube
  6. ^ 中日・田尾安志、契約更改から4日後に西武へトレード”. スポーツニッポン (2011年1月1日). 2011年11月15日閲覧。
  7. ^ 「オフの送別ゴルフ」冗談が本当になった。仰天!中日キャンプへ持参するものとは?【杉本正さん&大石友好さん1話】 - YouTube
  8. ^ 埼玉西武ライオンズ黄金投手陣の軌跡、2013年、ベースボール・マガジン社、P38
  9. ^ 近藤貞雄著『野球はダンディズム』朝日新聞社、1988年、P147
  10. ^ 東尾修著、負ける力、2023年、集英社インターナショナル、126頁
  11. ^ スポーツニッポン2020年2月20日森繁和の我が道⑱、11版
  12. ^ 日刊スポーツ 1998年10月13日
  13. ^ 週刊ポスト2008年7月18日号
  14. ^ 週刊ベースボール2007年6月18日号
  15. ^ 横浜 杉本投手コーチ&駒田打撃コーチが退団”. スポーツニッポン (2009年10月5日). 2011年11月15日閲覧。
  16. ^ 杉本正氏、KIAの1軍投手コーチに就任”. 聯合ニュース (2010年1月5日). 2011年11月15日閲覧。
  17. ^ 2012年度コーチングスタッフ発表!”. 埼玉西武ライオンズ (2011年11月11日). 2011年11月15日閲覧。
  18. ^ 2012年度 パシフィック・リーグチーム投手成績
  19. ^ 西武 石井貴投手コーチが急転辞任 8月投手陣不振の責任取り Sponichi Annex 2013年10月19日
  20. ^ 杉本投手コーチに2軍配置転換2013年10/15付サンケイスポーツ
  21. ^ 2014年度 コーチングスタッフ発表! 埼玉西武ライオンズ公式サイト(2013年10月22日配信)2013年11月3日閲覧。
  22. ^ 埼玉西武ライオンズコーチ来季契約について 埼玉西武ライオンズ公式サイト(2014年10月2日配信)2014年10月2日閲覧。
  23. ^ 松坂を3年間指導…杉本氏は見た「力から技へ、松坂の変身」 2015年2月19日スポニチ
  24. ^ 来季のコーチ契約に関して 東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト(2018年10月5日配信)2018年10月5日閲覧。

関連項目

外部リンク




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