木挽町辨松とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 木挽町辨松の意味・解説 

木挽町辨松

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/15 22:06 UTC 版)

株式会社木挽町辨松
種類 株式会社
本店所在地 日本
104-0061
東京都中央区銀座五丁目14番1号
業種 食料品
法人番号 4010001044066
事業内容 弁当・惣菜の製造販売
外部リンク www.benmatsu.co.jp
テンプレートを表示

木挽町辨松(こびきちょう べんまつ)は、東京・東銀座歌舞伎座前に本店を置いていた老舗弁当店である。1868年明治元年)に創業し、152年間営業を続けてきたが、2020年令和2年)4月20日に営業を終了した。

歴史

現在の銀座の東部にあたる三十間堀川汐留川の間は、江戸城木挽職人が多く暮らしたことから木挽町の町名が付けられていた[1]。界隈は1642年(寛永19年)に山村座が開かれたのを皮切りに、江戸三座と呼ばれる歌舞伎の街として賑わった。この地に木挽町辨松が開店したのは1868年明治元年)のことである。

1889年開場の歌舞伎座や、1925年に開場した新橋演舞場の役者や観劇客向けの弁当として親しまれ、食通として知られた池波正太郎の随筆『日曜日の万年筆』や、俳人の久保田万太郎の作品にも登場した[2]

本店のほか渋谷東横のれん街東急百貨店たまプラーザ店吉祥寺店中目黒目黒駅六本木プレッセにも店舗を展開していた[3]。東急百貨店東横店の閉店が決まり、新店舗移転の投資負担や設備の老朽化、後継者難から2019年夏ごろから廃業が検討された。廃業を惜しむ関係者が譲渡先を探し、話がまとまりかけたが、新型コロナウイルス感染症の流行で周辺の劇場が休館となった要因も重なり、廃業に至った[2]。歌舞伎役者の松本白鸚中村獅童らからも惜しむ声が寄せられた[4]

一番の売れ筋は幕の内弁当。おかずは里芋煮物玉子焼などが入り[5]、歌舞伎の幕間に冷めても美味しく食べられるよう[4]江戸前の甘しょっぱい味付けが特徴。懐石弁当は、白飯を使った「白」と、赤飯が入った「赤」とがあった[6]

脚注




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  木挽町辨松のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「木挽町辨松」の関連用語

木挽町辨松のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



木挽町辨松のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの木挽町辨松 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS