有漢の酒造史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/11 01:13 UTC 版)
有漢では伝統的に酒・醤油の醸造が盛んな産業で、有漢町の中心部、市場地区には明治時代に3軒の大きな酒造業者が存在していた。 大地主の佐藤本家、佐藤分家、江戸時代に庄屋を営んだ荘家の3軒があり、明治末期に相次いで倒産した。 大正時代に入り、新しい経営者の元で再興されることになる。 1919年(大正8年)、佐藤本家の残した施設を利用し、有漢村が半額出資して大正醸造株式会社が設立され、1944年に廃業した。跡地は現在のびほく農業協同組合 有漢主幹支店。 荘家は尾嶋酒造が引き継ぎ昭和中期まで続いた。昭和末期まで建物があったが解体され、跡地は廣峰神社下の町営住宅。 1918年(大正7年)、佐藤分家を現在の芳烈酒造が引き継ぎ今に至る。 2004年合併前の高梁市旧市域と川上町では2018年現在酒造業は無くなり、有漢町・成羽町・備中町にそれぞれ1軒ずつ残るのみである。
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