最高戦争指導会議構成員会合
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「最高戦争指導会議」の記事における「最高戦争指導会議構成員会合」の解説
上記の通り、この会議は戦争指導の根本方針の策定が目的であったが、実際の会議においては幹事補佐の軍参謀(佐官クラス)の作成起案した強硬な原案を審議追認する傾向にあった。1945年(昭和20年)4月の就任後に和平交渉に向けた活動を始めた東郷茂徳外相は、トップ6人だけで腹蔵なく意見交換できる会議を提案し、他の5人もこれに賛同して、会議内容は出席者以外には秘密という「最高戦争指導会議構成員会合」が開催されることとなる。この会合は5月11日に最初の集まりが持たれた。最高戦争指導会議自体が法的根拠を持っていなかったためこの会合も非公式なものだったが、その後の戦争終結に向けた動きの中で重要な意思決定機関となった。
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