最後離船、最後退船の義務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 05:06 UTC 版)
詳細は「船長の最後退船」を参照 古くから商船(軍艦)が沈む際には、船長は最後に離船する、時には船と運命を共にするという事例が見られた。こうした伝統は、長年、商船の運用を行ってきたイギリスにおいても法令などで成文化されてはいない。1980年、LNG船が関門海峡の投錨地で座礁した際にアメリカ人船長がピストル自殺した例、1997年、福井県沖でナホトカ号重油流出事故が発生した際にロシア人船長が救出を拒否して後日、遺体となって発見された例など、個別事例は枚挙にいとまない。しかし一方で、2012年のコスタ・コンコルディアの座礁事故、2014年のセウォル号沈没事故の様に、船長が救助の現場で指揮、監督を放棄し、いち早く避難するといった極端な例も見られる。 一方、日本では、過去、前述のように船員法第12条で船長の最後離船が、同法123条で罰則規定が定められており義務として定着していた。しかし1969年から1970年にかけてぼりばあ丸事故、波方商船の「波島丸」事故、かりふぉるにあ丸事故と立て続けに3件の遭難事故が発生する中で、それぞれの船の船長が離船を拒否して殉職する例が見られたため、日本船長協会は「誤った社会通念を生む」として船長の責任を軽くするよう主張を行った。この結果、法改正が行われ、船長の最後離船、最後退船は義務ではなくなっている。
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