最初で最後の哨戒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/14 04:59 UTC 版)
「コーヴィナ (潜水艦)」の記事における「最初で最後の哨戒」の解説
11月4日、コーヴィナは最初の哨戒でカロリン諸島方面に向かった。11月6日にジョンストン島において燃料を補給したが、その後未帰還となった。コーヴィナの任務は、次のような危険なものであった。 警備の厳重な日本の重要拠点である、トラック諸島にできる限り接近して哨戒に当たる。 ギルバート諸島に接近する(タラワの戦い、マキンの戦い)アメリカ軍に脅威をもたらす、日本軍の出撃部隊を迎撃する。 当時トラック諸島周辺にはブラックフィッシュ (USS Blackfish, SS-221) 、ドラム (USS Drum, SS-228) 、スレッシャー (USS Thresher, SS-200) およびアポゴン (USS Apogon, SS-308) が同様の監視任務についており、コーヴィナにはトラック諸島の南側が哨区として割り当てられていた。3隻には「日本潜水艦に警戒すべし」との警報が出されており、ブラックフィッシュは11月13日夜に北緯03度02分 東経149度41分 / 北緯3.033度 東経149.683度 / 3.033; 149.683の地点で潜水艦らしきものを発見していたが、薄暗い時刻での発見だったため敵か味方かどうかは分からなかった。5日後の11月18日、ブラックフィッシュはドラムと交信したが、ドラムは「本艦ではない」と否定した。次いでブラックフィッシュはコーヴィナと交信を試みたが、返事はなかった。やがて11月30日になり、真珠湾の太平洋艦隊潜水部隊司令部からコーヴィナに対し、「第7艦隊指揮下の第72任務部隊に入って、ブリスベンに移動するように」との命令を出し、返信を求めたがついに返信は来なかった。コーヴィナとその乗組員82名の損失は1944年3月14日に発表された。
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