曾我尚助とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 曾我尚助の意味・解説 

曾我尚助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/14 06:07 UTC 版)

 
曾我尚助
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 永禄元年(1558年
死没 寛永3年2月10日1626年3月8日
別名 又六郎、兵庫頭、主計頭、又左衛門
戒名 踈雪
墓所 海禅寺
幕府 江戸幕府
主君 足利義昭織田信雄豊臣秀次秀吉徳川家康秀忠
氏族 曾我氏
父母 曾我助乗、沼田常陸介の娘
滝川雄利の娘、酒井忠次の養女
古祐、俊助、包助、木造俊宣室、松下述久室、渡辺仲室、三宅長利室
テンプレートを表示

曾我 尚助(そが なおすけ)は、戦国時代から江戸時代初期の武将

略歴

代々室町幕府幕臣の家に生まれ、自身も最初足利義昭に仕えたが、天正元年(1573年)義昭が没落した際にはまだ若かったために従わなかった。その後は織田信雄に仕え、天正18年(1590年)信雄の出羽秋田への配流にも従った。のち信雄の命で徳川家康の元に赴いて信雄の雪免運動を行った。信雄が伊予に移された時にも従ったが、後に豊臣秀吉の命で豊臣秀次の配下となる。文禄4年(1595年)秀次が処刑されると旧領の近江土山に閉居。のち伊勢滝川雄利領に移り、程なく細川藤孝の推挙により伊勢飯野郡に400石を与えられる。

慶長5年(1600年)徳川家康に召され、足利家の故実などを教授する事を求められて1000石で出仕。徳川秀忠配下となり、昼夜問わず近侍するようになる。尚助は足が悪かったが、登城の際には御台所付近までの乗輿を許された。また旧知の覚印周嘉を、博識かつ故実に明るい人物として秀忠に推挙している。覚印は尚助の菩提寺である海禅寺の開基でもある。

脚注

参考文献


曾我尚祐

(曾我尚助 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/02 09:16 UTC 版)

 
曾我尚祐
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 永禄元年(1558年
死没 寛永3年2月10日1626年3月8日
改名 尚助→尚祐
別名 又六郎、兵庫頭、主計頭、又左衛門
戒名 踈雪
墓所 海禅寺
幕府 室町幕府江戸幕府
主君 足利義昭→浪人→織田信雄豊臣秀次秀吉徳川家康秀忠
氏族 曾我氏
父母 父:曾我助乗、母:沼田常陸介の娘
正室:滝川雄利の娘、後室:酒井忠次養女
女(木造俊宣室)、古祐、女(松下述久室)、俊助、女(渡辺仲室)、女(三宅長利室)、包助
テンプレートを表示

曾我 尚祐(そが なおすけ)は、安土桃山時代武将江戸時代初期の幕臣江戸幕府右筆。有職家(ゆうそくか)、能書家。諱は尚助(なをすけ)ともいった。

略歴

室町幕府幕臣を務める代々奉公衆の家に生まれ、父は足利義輝に仕え、永禄の変の後、足利義昭近江和田城に退いた時に、父と共に馳せ参じた[1]

天正元年(1573年)、義昭が槇島城籠城後に没落した際、父は従って河内国若江に落ちて行ったが、尚祐はまだ若かったために従わなかった[1]

その後は織田信雄に仕え、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の勘気を受けた信雄が改易されて出羽秋田配流された際にも従った[1]

信雄の命で徳川家康の元に赴いて信雄の雪免運動を行った[1]。同年8月4日、家康は尚祐に秀吉の怒りが和らいだと教えている[2]

信雄が伊予に移された時にも従った14名の家臣の1人だったが、後に豊臣秀吉の命で豊臣秀次の配下となった[1]

文禄4年(1595年)に秀次が処刑されると、旧領の近江土山に閉居。のち伊勢滝川雄利領に移り、程なく細川藤孝の推挙により、父と共に上洛して秀吉に足利家の旧式(古式)を言上して、伊勢飯野郡に400石を与えられた[1]

慶長5年(1600年)冬、徳川家康に召されて足利家の法式を問われ、故実などを教授する事を求められて江戸に出仕するように命じられ、采地1,000石を与えられた[1]

翌年(1601年)より徳川秀忠の右筆となり[3]、常勤の御夜詰となった[1]。尚祐は足が悪かったが、登城の際には御台所付近までの乗輿を許された。また旧知の覚印周嘉を、博識かつ故実に明るい人物として秀忠に推挙している。覚印は尚祐の菩提寺である海禅寺の開基でもある[4]

寛永3年2月10日、死去。享年69[5]

著書

  • 『座右抄』
  • 『和簡礼経』
  • 『書礼袖珍宝聞書』
  • 『曾我流書礼』

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 堀田 1923, p. 906.
  2. ^ 史料綜覧11編912冊304頁.
  3. ^ 高木昭作. "曾我尚祐". 世界大百科事典 第2版. コトバンクより2023年10月2日閲覧
  4. ^ 堀田 1923, pp. 906–907.
  5. ^ 堀田 1923, p. 907.

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  曾我尚助のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

曾我尚助のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



曾我尚助のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの曾我尚助 (改訂履歴)、曾我尚祐 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS