景観・環境の復元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 22:31 UTC 版)
熊野古道の植生を再現した田辺市目良公園「くまぐすの森」 2007年 →椰子の木の根元に植樹 2018年植樹から10年を経て生い茂った状況。潮風に強い種を選び、落ち葉で自己追肥する落葉樹は半ば放置しても育成され、山間部の紀伊路に似た植生景観となった。 紀伊路から中辺路・大辺路の分岐点となり「口熊野」と呼ばれた紀伊田辺は、総合保養地域整備法(リゾート法)によってヤシの木を植えるなど南国リゾート風なまちづくりを展開してきたが、一方で1974年に景勝地と知られた天神崎に別荘地造成が計画された際に「天神崎の自然を大切にする会」が市民有志によって結成され、日本におけるナショナルトラスト運動の嚆矢となった。 この活動が契機となり、宮脇昭が提唱した潜在自然植生の考えに基づいて2007年に目良公園において在来種への植え替えが行われたのを皮切りに、「熊野の森をつくる会」や「熊野の森ネットワーク・いちいがしの会」などの市民団体が熊野古道で最も往時の景観が失われた紀伊路の古環境(英語版)復元を目指している。 一方、目良公園に近接する芳養の松原は中世から知られた名勝(当時はおそらく自然自生)であったが、江戸時代に防風林として増加され、近代になり大半が枯れたものを再生した。
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