旧久我村、羽束師村、淀町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 06:20 UTC 版)
「京都市伏見区の町名」の記事における「旧久我村、羽束師村、淀町」の解説
前身公称町名町数旧久我村久我石原町、久我本町、久我御旅町、久我森の宮町、久我東町、久我西出町 6 旧羽束師村羽束師菱川町、羽束師古川町、羽束師志水町、羽束師鴨川町 4 旧淀町淀樋爪町、淀水垂町、淀大下津町、淀美豆町、淀木津町、淀川顔町、淀新町、淀下津町、淀池上町、淀本町、淀際目町、淀生津町 12 乙訓郡久我村は、昭和25年(1950年)に京都市に編入され、伏見区の一部となった。久我村には大字はなく、村域は「久我」を冠称する6町に編成された。 乙訓郡羽束師村は、昭和25年(1950年)に京都市に編入され、伏見区の一部となった。羽束師村には菱川、古川、志水、鴨川の4つの大字があり、これらは「羽束師」を冠称し、旧大字名を継承する4町に編成された。 久世郡淀町は、昭和32年(1957年)に京都市伏見区に編入され、「淀」を冠称する12町に編成された。久世郡淀町の区域は、明治22年(1889年)の町村制施行時には以下の1町2村だった。 久世郡淀町(池上、下津、新町(しんちょう)の3大字がある) 綴喜郡美豆村(美豆、際目、生津の3大字がある) 乙訓郡淀村(樋爪、水垂、大下津の3大字がある) このうち、旧淀町は明治22年(1889年)の町村制施行時に旧淀城下の池上町、下津町、新町が合併して成立した。美豆村は昭和10年(1935年)、淀村は昭和11年(1936年)に当時の淀町に編入された。なお、淀村大字水垂及び大字大下津は、明治22年(1889年)までは紀伊郡に属していたので、これら1町2村の区域には久世、綴喜、乙訓、紀伊の4郡の各一部が含まれていたことになる。 1町2村合併後の淀町は、前述の通り昭和32年(1957年)に京都市に編入された。この際、大字池上は淀池上町及び淀本町に、大字新町は淀新町、淀木津町、淀川顔町となり、残余の7大字は「淀」を冠称し、旧大字名を継承する7町に編成された。 以上、旧伏見市域の町名は182、その他の地域の町名は517、計699町となる(「丁目」を各1町と数えた場合(町丁も参照)。2021年現在)。
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