旧・常磐橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/15 05:10 UTC 版)
江戸時代には高松城の外堀に架けられていた木桁橋であった。外堀は現在の兵庫町・片原町商店街とその北側に平行する路地の間に存在し、最大幅は11間(約20m)であった。 高松城の外堀には東から「東の土橋」、「両町橋」、「蛇の目橋」、「常磐橋」、「八雲橋」、「西の土橋」などいくつかの橋が架けられていたが、この常磐橋はその中心であり、志度街道・長尾街道・仏生山街道・丸亀街道(現・高松市国分から伊予街道が分岐)・金毘羅街道の讃岐五街道の起点となる交通の要衝であった。 その街道跡は現在それぞれ片原町商店街(志度街道・長尾街道)、丸亀町商店街(仏生山街道・金比羅街道)、兵庫町商店街(丸亀街道)となっている。 また、橋のたもとには高札が設置されて、現在の三町ドームは「札の辻」と呼ばれていた。 高松城の外堀は明治時代に入ると一部が埋め立てられて幅が狭くなり、それに伴い常磐橋も木桁橋から石橋に架け替えられる。その後外堀が完全に埋め立てられると同時に役目を終えて橋は撤去され、石材の一部が栗林公園東門に移築された。
※この「旧・常磐橋」の解説は、「常磐橋 (高松市)」の解説の一部です。
「旧・常磐橋」を含む「常磐橋 (高松市)」の記事については、「常磐橋 (高松市)」の概要を参照ください。
- 旧・常磐橋のページへのリンク