日比関係記事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/17 01:20 UTC 版)
2013年8月18日「フィリピンとの戦後 赦しの文化に甘えて良いのか」では、終戦の半年前に妻子を日本兵に殺されながらも、その8年余後に、戦犯日本人の死刑囚や受刑者に恩赦を与え、日本帰国を許したエルピディオ・キリノ大統領(故人)の姪や甥に取材し、「血まみれの2歳の娘の亡きがらを抱える伯父。覚えています。泣いていました」「国内はもちろん家族のなかにも(恩赦への)反対はあった」「それでもカトリックの赦しの文化に従ったのです」との言葉を紹介した。フィリピン国民の約8割が日本を好感するまでになった理由として、歴代フィリピン政権の姿勢、日本政府の援助、民間の支援、日本に出稼ぎにいった女性らの定着と交流などの事情を挙げている。
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