日本新党・民主党
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1992年(平成4年)に野田佳彦・小池百合子・山田宏・樽床伸二・中田宏らとともに日本新党へ参画。1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙で京都1区において日本新党公認・新党さきがけ推薦で立候補して初当選。しかし東京佐川急便事件での細川護熙の借入問題に端を発した連立政権崩壊によって、細川内閣が総辞職。その後、枝野幸男・荒井聰・高見裕一らとともに日本新党を離党し、民主の風(院内会派)を結成する。この離党について、細川夫人が前原を「恩を仇で返す薄情な男」と怒っていたと週刊現代は報じている。その2ヵ月後には「民主の風」メンバーとともに新党さきがけに合流し、菅直人政調会長(当時)のもとで政調副会長、院内幹事(国会対策委員長)渡海紀三朗の下で院内副幹事(国対副委員長)をそれぞれ歴任する。1995年(平成7年)第17回参議院議員通常選挙では与野党を超え民改連現職笹野貞子を支援。1996年(平成8年)の総選挙直前に旧民主党、1998年(平成10年)の民主党の結党に参加。 2002年(平成14年)9月の代表選挙では、鳩山・菅の二枚看板(いわゆる「鳩菅体制」)に危機感を覚え、世代交代を図るため「第二期民主党をつくる有志の会」を結成する。 党内では幹事長代理、「次の内閣」ネクスト外務大臣、ネクスト防衛庁長官なども務めた。
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