日本政界への意欲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 16:24 UTC 版)
「アルベルト・フジモリ」の記事における「日本政界への意欲」の解説
2007年6月18日、日本の国民新党が参議院選挙に同党の比例代表公認候補として出馬するよう要請し、6月27日、立候補を表明した。また、フジモリは民主党に立候補を打診し断られていたという。6月28日、サイトで立候補表明すると共に、将来のペルー政界復帰も約束した。 その動きについてのペルー国内での反応としては、ペルーのガルシア大統領は同日、「国民がどう思うか。大いに失望した」と日本での立候補を批判。ペルーの有力紙『レプブリカ』は「引き渡し逃れは明らか」と非難し、『コメルシオ』紙も芸者姿のフジモリを載せるなど、ペルーのマスコミは相次いで反発した。中には、「卑怯者」「SAYONARA!」など、日本語の見出しで批判した新聞もあった。 7月5日には国民新党の亀井静香代表代行が麻生太郎外務大臣に対し、選挙運動が可能になるようにフジモリを釈放するようペルー政府に働きかけるよう要請したが、麻生に「(釈放、帰国要請は)独立国家として無理がある」として断られている。この結果、フジモリの選挙運動は候補者不在の中行なわれ、政見放送にも参加できなかった。 選挙の名簿では本名「片岡謙也」、通称「フジモリ」という名義で登載された。投票の結果、国民新党は当選枠1人との結果となり、フジモリは国民新党4位であったため落選した。
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