日本リーグ時代~ナショナルチーム(日本)時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 07:45 UTC 版)
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卒業後の1998年に大阪のグランプリに入社。1997年、卓球メーカーに勤務の日本人女性との結婚を機に翌1999年日本国籍となった(帰化した理由は子供が中国籍でいじめに遭わないためと卓球王国で語っている)。2006年より、グランプリの監督兼任選手。2006年の日本卓球リーグ(後期)で優勝。全日本社会人でシングルス、ダブルス共に優勝。2004年の全日本卓球選手権では、3種目でファイナリストとなり小西杏との混合ダブルスに優勝、シングルス準優勝、ダブルス準優勝。 宮崎義仁が日本代表の監督になってから代表メンバーに選ばれ2003年の世界選手権パリ大会、2004年の世界選手権ドーハ大会、アテネオリンピックに出場。ITTFプロツアーにも参戦している。
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