日本リーグ創設と黄金期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/31 04:28 UTC 版)
「日立製作所本社サッカー部」の記事における「日本リーグ創設と黄金期」の解説
1965年に創設された日本サッカーリーグ(JSL)では、初年度から参加した8クラブ(オリジナル8)のうちの1つである。リーグ創設に際して古河電工(現ジェフユナイテッド千葉)、三菱重工(現浦和レッズ)と共に中心的な役割を果たした事から丸の内御三家と称された。しかし1960年代の日立は低迷し、1968年と1969年は入替戦に回った(いずれも勝利)。立て直しを図るため、日立製作所OBで日本代表監督も経験していた高橋英辰を監督に招聘した。 1971年に日立製作所サッカー部に改称した。1970年代には高橋英辰監督の厳しい指導から「走る日立」の異名をとり、1972年には日本リーグおよび天皇杯の2冠を獲得した。1975年に再び天皇杯を制すると、1976年には初代JSLカップ王者に輝いた。なお、日本リーグ創設以降に日立が獲得したタイトル(JSL2部は除く)は、全て高橋の指揮下にあった1972年から1976年にかけて達成したものである。
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