日本リーグからVリーグ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 08:11 UTC 版)
「JTサンダーズ広島」の記事における「日本リーグからVリーグ」の解説
「プロリーグ構想 (バレーボール)」も参照 1970年代から80年代にかけて専売広島は守備のチームとなり、後の「ディフェンスのJT」として今日まで続いていく。母体の民営化により、1985年(昭和60年)から 『日本たばこ』、1988年(昭和63年)から『JT』に名称変更。この頃、広島から他へのチーム移転の話があったが頓挫している。 結局、日本リーグ時代は2位が2度あったのが最高記録で一度も優勝は出来なかった。生前の猫田は親しい人間に「俺は世界一になったことはあるけど、日本一になったことがないなあ。」と漏らしている。猫田・西本の後には、下村英士・原秀治・栗生澤淳一らを五輪代表に送り出したが、彼らにもリーグ優勝は手が届かなかった。 1994年(平成6年)から始まったVリーグにも、最初の8チームとして参加、"サンダーズ"の愛称が付けられた。同年平野信孝が入団し、そして以降外国人選手にエフゲーニ・ミトコフ、オレーク・シャトーノフ、パーベル・シシキンらロシア代表選手を補強したことにより、チームはさらに力を付けVリーグや全日本選手権(黒鷲旗)でも度々優勝争いに加わるようになった。一方で第4回Vリーグ(1997/98)ではチーム史上最低成績のリーグ8位で終えている。
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