日本シリーズでの退場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 00:21 UTC 版)
1969年10月30日に行われた読売ジャイアンツ(以下、巨人)対阪急ブレーブス(以下、阪急)の日本シリーズ第4戦(後楽園)での事。 4回裏・巨人の攻撃、無死一・三塁の場面で、一塁走者・王貞治と三塁走者・土井正三がダブルスチールを敢行。阪急の二塁手・山口富士雄がホームに返球し、土井は岡村のブロックに跳ね飛ばされた形となった事からアウトと思われたが、球審・岡田功は「セーフ」の判定を下した。激昂した岡村は岡田を殴って、日本シリーズ史上初の退場処分となった(なお、2012年に多田野数人が危険球で岡村以来、史上2人目の退場処分を受けている)。 モニターの映像でもアウトと思われたが、土井の足は岡村にブロックされて跳ね飛ばされる前にホームを踏んでいる写真が新聞社から出て、岡田の判定が正しい事が判明した。ただし岡村は、後に放送された特番で「今でもあれはアウトだと思っている。長い事プロで活躍したのに、あの場面ばかり出されるのは無念だ」と述べている。ただ、奇しくも岡村と土井(余談だが、走塁の際に打席に立っていた長嶋も)は大学では先輩後輩(岡村が二つ上)の関係にあり、岡村は「大学の後輩と言う事で、土井に対して甘くなってしまった。」とも語っている。 巨人の川上哲治監督(当時)も、同年11月3日付読売新聞掲載の手記で、「瞬間的に、判定に不満をいだいた岡村浩二君の行為はわからないではない」と認めている。また、当時巨人の選手であった瀧安治でさえも、『暴れん坊列伝 - プロ野球乱闘史』(文藝春秋社・文春文庫ビジュアル版、1988年 ISBN 9784168108075)の中で「たった一度の間違いで彼を評価してはならない。幾多もの苦労を乗り越え、あのブロックを作り上げ、あれほどまでにナインから全幅の信頼を置かれた姿こそが岡村の本当の姿である」と評している。 「日本シリーズ初の退場事件」も参照
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