日本における誕生と歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:13 UTC 版)
「学力偏差値」の記事における「日本における誕生と歴史」の解説
1957年(昭和32年) 東京都港区立城南中学校(当時)理科教員であった桑田昭三により考案された。勘を依りどころに行われていた「志望校判定会議」における日比谷高校の合格判定を、より科学的、合理的に割り出すために考案された。当時、生徒には自分の偏差値を秘密にするよう指導していた(※後述)が「あの中学では桑田先生が考案した画期的な方法で受験指導をしているらしい」という噂が徐々に広まり、偏差値の存在が知られるようになる。 1963年 城南中学校出入りのテスト業者である進学研究会は「偏差値計算をする」と言い、桑田は進学研究会に転職し、偏差値を社内で啓蒙する。間もなく偏差値は、点数と順位に代わって、テストの成績や進学情報を表す主要な方法となる。 1965年ごろ 広まり出し、大学受験では、旺文社の『螢雪時代』1965年8月号の付録に初めて偏差値が登場する。 1970年代前半 全国津々浦々の地方の業者テストや学習塾などにまで広まるようになる。生徒の受験校を偏差値によって切り分けるような「輪切り」と呼ばれる進路指導がなされるようになる。
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