日本での語法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/16 10:14 UTC 版)
日本では1926年の段階で、当時のキリスト教会の代表的指導者植村正久が、根本主義の基本信条に反対し、「代償的贖罪」を教会の信条の中に含めることは、間違いであるとした。また聖書の無誤も「文字崇拝」と呼んで拒否した。 旧日本基督教団においては、国民儀礼として宮城遥拝、神社参拝を行ったのに対し、それを偶像崇拝だと主張して神社参拝をしないクリスチャンをファンダメンタリスト、その立場をファンダメンタリズムと呼んだ。「神社非宗教論」を唱え神社参拝を容認する立場では、美濃ミッション事件から神社参拝拒否をファンダメンタリズムとする合意が形成されたという 。戦後日本基督教団の井門富二夫は、ファンダメンタリズムを、「負け犬の宗教」「反動形成」「新興宗教が萌芽状態において発生した直後の、情緒的ないしまだ結晶しない精神状況」「産業社会のじゃま者」「社会の発展に追随できない層の敗北自認から生じたもの」とする。 従来、キリスト教根本主義は、キリスト教の運動である狭義のファンダメンタリズム(Fundamentalism)を表す植村正久の訳語であったが、イスラム原理主義の登場以降、日本でも神学的意味合いを超えて、政治的意味合いを持って、キリスト教原理主義(キリストきょうげんりしゅぎ)と呼ばれることもある。
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