日振島での被害と補償
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/03 15:17 UTC 版)
中でも日振島(当時の日振島村・現宇和島市)での被害は甚大で、当時の人口約2,300人のうち106人もの死者・行方不明者を数えた。 この台風では、廃業・倒産した網主を除き、100名の死亡・行方不明者の遺族が6万〜10万円の補償金の支払いを受けている。戦後4年しか経過しておらず使用者の労働者に対する補償責任と言う概念が乏しかった時代に、この様な円滑な補償が行われたことが異例であり、以下のことが理由として挙げられる。 役場に法律の知識に詳しい官吏がいた。 遺族会の結成が円滑に行われた。 使用者側に復興資金が供与された。 使用者側の補償に対する理解を得られた。 その後、日振島ではデラ台風の三回忌に死者を供養する盆踊りの口説(くどき・踊りの為の歌)を作っている。日振島の最北、沖の島に遭難者の名前を刻した慰霊塔が建設されたのは十三回忌のことである。
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