日・華(台)交流
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1972年、日本政府と中華民国政府(台湾)が正式な国交を断絶した後、国会で「日華(台)交流」の必要性を訴え、予算を獲得、民間団体同士による日本との教育交流を推進した。日華断交に危機感を抱いて台湾へ乗り込み、教育交流を申し込んだ日華交流教育会(2007年現在の会長は小堀桂一郎、事務局長は草開省三)が日本側の受け入れ団体となった。 また、許は両国の航空路線の再開維持のために努力した。日本アジア航空の台北行き第1便に乗った岸信介や灘尾弘吉を空港で最初に出迎え、握手したのは許であった。 特に親しく交流した日本人は、奥野誠亮、村尾次郎、櫻井勝之進、小田村四郎、小堀桂一郎、名越二荒之助、草開省三、倉前盛道、副島博之、高橋史朗、勝岡寛次等。 現在は日台交流を実践している団体も多いが、戒厳令が敷かれていた当時から交流を続けている団体は少ない。最近の親台湾団体は、台湾独立派との関係が深く(台湾正名運動の関係もあって)、「華」の字(中華民国の「華」)を使いたがらないが、交流の古い団体は、「日台」とは名乗れず(戒厳令のため)、「日華」という名前を使って粘り強く活動を続けてきた。日華交流教育会(現在は日台交流教育会)もその一つである。
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