日の神論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/13 09:48 UTC 版)
日の神論争(ひのかみろんそう)とは1786年(天明6年)から1787年(天明7年)にかけて本居宣長と上田秋成のあいだで書簡を通して交わされた国学上の論争である。具体的には日の神、すなわち天照大御神をめぐる論争を指す。
- ^ 古代音韻論争は宣長の『字音仮名用格』(安永5年(1775)刊)でも秋成との論争を生んだ。同年に秋成は上京、与謝蕪村は秋成の訪問をうけた友人の一人であった。蕪村は門下(で後に夜半亭を継承する)几董宛の書簡において「あらむつかしの仮名遣いやな、字儀に害あらずんばアヽまゝよ」と前書きして俳句を詠んだ。 んめ咲やどれがんめやらむめじやらら 明治32年(1899)5月5日、根岸の子規庵に集まって蕪村句集を輪講していたホトトギスの歌人たちがこの句を論ずる様子は『蕪村句集講義』(春の部)に掲載されている。
- ^ 井関大介「上田秋成の神霊観 : 物語受容の観点から」『東京大学宗教学年報』第24巻、東京大学文学部宗教学研究室、2007年3月、 67-92頁、 doi:10.15083/00030508、 hdl:2261/25975、 ISSN 02896400。
- 1 日の神論争とは
- 2 日の神論争の概要
- 3 参考文献
- 日の神論争のページへのリンク