本居宣長との論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 05:25 UTC 版)
秋成は天明6年(1786年)から翌年頃まで本居宣長と二度にわたって論争した。その経緯を、宣長は「呵刈葭(かがいか、あしかりよし)」の著作で、秋成は「安々言(やすみごと)」という形で著した。前半の議論のテーマは、日本の古代に撥音の「ん」及び半濁音(ぱ行の音)が存在したどうかである。 後半は「日の神論争」ともいわれ、藤貞幹が「衝口発」という著作で宣長を咎めたことに対して、宣長が「鉗狂人」を著して反論したことを踏まえ、秋成がさらに宣長を再批判した。主として日本神話の解釈をめぐる論争である。
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