旅行記中の「ジョン・マンデヴィル」
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マンデヴィルは、イングランドのセント・オールバンズの出身の騎士を自称している。1322年/1332年の聖ミカエルの日(9月29日)にマンデヴィルは遍歴の旅に出、数十年の歳月を経て旅行記を執筆した。作中で旅行の目的は明確にされていないが、エルサレムなどの聖地巡礼。あるいは傭兵としての働き場所を求めるためだと説明されている。旅行記の著者であるマンデヴィルの不明瞭な人物像は、語り部の立場や視点を場によって変えながら目撃した事象を述べることで、著者が参考とした異なる立場の人間が書いた様々な文献を一つの紀行文にまとめる役割を果たした。 マンデヴィルの遺体はリエージュ近郊のギレルマン教会に埋葬されたと言われ、多くの旅行家が彼の墓碑を詣でたが、フランス革命の際に教会は破壊された。また、マンデヴィルの故郷セント・オールバンズ大修道院にも彼の墓碑が置かれており、かつては修道院にマンデヴィルの石像が飾られていたと伝えられている。
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