旅籠町遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/21 16:27 UTC 版)
旅籠町遺跡ではこれまでに石鏃や須恵器片、中世の陶器片などが見つかっており、縄文・弥生時代から中世に至る集落跡と考えられるという。旅籠町遺跡の周辺には縄文時代晩期の岩井通貝塚、弥生から古墳時代の集落遺跡といわれる松原遺跡などがあり、クスノキの根元に位置する盛り上がった地形から、この場所は大須二子山古墳を首長墳とする「大須古墳群」の一つと推測されて、雲龍神社古墳とも呼ばれていた。 神社の緑地化計画に伴って大楠の枝を支える支柱の設置が行なわれることになり、盛土の一部とその周辺を対象として2004年(平成16年)2月から約1ヶ月間の発掘調査が行なわれた。縄文晩期~弥生初頭の条痕文系土器片や弥生時代後期の高坏・壺の破片などが見つかったものの、中世の山茶碗や鉢などが主体で、近世の瀬戸・美濃焼の陶片なども出土するなどしたことから、現在では古墳ではなく近世から古くとも中世以降に築かれたものと考えられている。
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