新響・近響→ABC響とは? わかりやすく解説

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新響・近響→ABC響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:21 UTC 版)

近衛秀麿」の記事における「新響・近響→ABC響」の解説

戦前期新響にせよ戦後の近響(近衞管弦楽団)→ABC響にせよ、秀麿が精魂こめて作り上げたオーケストラはすべて秀麿の手元には残らなかった。 日本交響楽協会分裂・「コロナ事件」・「新響改組事件」には策士原善一郎が常に絡んでいたし、近響→ABC響では待遇問題経済的な理由が常につきまとっていた。もっとも、「コロナ事件」で大鉈振るったことに関しては、理由違いはあれどアルトゥール・ロジンスキニューヨーク・フィルハーモニック行ったリストラ類似性見出すことは出来る(もっとも、ロジンスキニューヨーク時代はこの大リストラ祟り?のせいか短かった)。 己の理想と現実とのギャップ悩まされたのがオーケストラ運営障害になったのは明らかだが、それ以上周囲の人間にあまり恵まれなかった面もある。原に関して朝比奈隆見出した実績もあるのだが、戦後期日本フィルを巡るやりとりやABC響でのゴタゴタではあまりにも秀麿に人の運がなかったか、秀麿の人柄見透かしたかのように秀麿の元から人が離れていった。 秀麿の人柄を「貴族的な冷たさ持っていたがゆえに人がついていかなかった」と指摘する人もいる一方晩年期詐欺事件巻き込まれた例などをみるに「人が良すぎ、策士少々如何わしいプロモーターなどに気軽に乗っかってしまい、結果的に大火傷を負う結果となった」と見る人もいる。このように、秀麿の日本でのオーケストラ運営に関して様々な見方があるが、秀麿の内弟子であった福永陽一郎は秀麿のオーケストラ運営次のように語っている。 「近衞秀麿終生オーケストラとの関係を不首尾に終わらせている。本来の指揮者としての力量承認しないものは一人もいなかったが、その対オーケストラ思考方向は、いつもオーケストラ自体首肯し難いほうへ進んだ」「天皇家よりも由緒明確な千年貴族というものの悲喜劇を、首相だった長兄の文麿公ともども体現した人だったといえる」(福永陽一郎演奏ひとすじの道」『CONDUCTORCONDUCTOR編集部/山崎「秀麿蕩尽録」所収

※この「新響・近響→ABC響」の解説は、「近衛秀麿」の解説の一部です。
「新響・近響→ABC響」を含む「近衛秀麿」の記事については、「近衛秀麿」の概要を参照ください。

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