新大陸へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 15:30 UTC 版)
1504年にアロンソ・キンテーロ (Alonso Quintero) が率いる船で、イスパニョーラ島に渡り植民者となった。キンテーロが、第一発見者になるために取ったライバルを騙したり欺いたりする手法は、コルテスが新大陸でその後取った手法に少なからず影響を与えた。18歳のコルテスは、イスパニョーラ島の首都サント・ドミンゴで市民登録をして、建物を建てたり土地を耕したりする権利を得た。程なくして、統治者のニコラス・デ・オバンドがコルテスにエンコミエンダ制の権益を与え、彼をアスーア・デ・コンポステーラ (Azua de Compostela) の町の公証人にした。その後5年間、コルテスは植民地での地位の確立のために働いた。1506年、コルテスはイスパニョーラ島とキューバの遠征に参加し、多くの不動産とインディアンの奴隷を獲得した。 1511年、コルテスはディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャルのキューバ征服に参加した。その結果ベラスケスは、キューバの統治者となった。ベラスケスはキューバ支配におけるコルテスの働きに感心していた。コルテスの勇猛果敢なリーダーとして名声は、その後も続いた。そしてコルテスはベラスケスの秘書官となった。キューバにおいてコルテスはエンコミンダ制による収益や鉱山、牧畜などで生計を建てていた。秘書官としての地位により、彼は指導力も得た。1514年、コルテスは、労働力としてさらなる原住民の割当を要求していたグループのリーダーとなっていた。
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