新しい生存目標
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 10:09 UTC 版)
新しい生存目標の発見は、自分自身の本質的なものの線に沿ったものではなくてはならない、と神谷は言う。自分自身の本質に沿ったもので、これ以外に自分の生きる道はないのだ、とわかったら思い切ってそれを選びとるほかはない、この決断と選択と賭けの前にしり込みしたときには、いわゆる実存的欲求不満の種をまくことになり、後日に神経症や「にせの生き方」や自殺をひきおこす、と述べる。 新しい生存目標は、かつてのものと比較して類似のものに変形したり、すっかり置き換えられたりする[要出典]。人間への愛が生きがいという状態から、神への愛こそが生きがい、と変わる場合もある[要出典]。神秘家などにこの例は多く、失恋を契機として修道院での人生を選ぶ人などもこの例にあたる。生きがいの置き換えのことを、リボーは「情熱の置き換え」と呼んだ[要出典]。例えばゴーギャンにおいては、株の仲買人で生きていたが、35歳の時その職を捨て、絵画に走り、現世的な幸福はすべて捨てさってしまった、という。 結局、自分の内にさまざまの可能性を持っている人は、ひとつの生きがいを失っても、ほかの生存目標をみいだし、強く生きてゆけるのではないか、と言い、内在的傾向の複雑なひとほど生きがいの置き換え現象が起きやすいのだろう、とする。また、ある事例を挙げて、全てのできごとを「天の摂理」として受け入れる素朴な宗教心をもっている人だと、新しい境遇に置かれればまたそこで新たな生きがいを見出すものだ、とも述べる。
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