文殊と観音に帰依する
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 07:59 UTC 版)
話を文観に戻すと、仏門に入った翌年の正応4年(1291年)2月上旬、文観は文殊菩薩への帰依を表明し、菩提心(悟りを求め衆生を救済しようとする心)を祈誓(誓願)した(『瑜伽伝灯鈔』)。真言律宗は文殊信仰が強く、たとえば『大乗本生心地観経』報恩品の「文殊師利大聖尊/三世諸仏以為母/十方如来初発心/皆是文殊教化力」の四句がしばしば標語として用いられ、文殊は過去・現在・未来のあらゆる仏の母として、人に菩提心を促す存在と見なされた。文観もまた、叡尊の直弟子である慶尊を通して、文殊による菩提心という信仰を学んだのだと考えられる。 『瑜伽伝灯鈔』が伝える伝説によれば、このころ、文観は奇妙な夢を見たという。その夢の中に母と梵篋(ぼんきょう、経典を入れた箱)が現れて、梵篋の中には一つの宝珠と一つの錫杖があった。そこで、文観は梵篋の中に入ったという。そして、文観はこの夢によって真言律宗の本拠地である奈良へ行くことを決意したのだという。 伝説そのものの真偽はともかく、少なくとも、文観の文殊・宝珠・錫杖に対する信仰がこのころ芽生えたのだと解釈することは可能である。錫杖は普通、地蔵菩薩の象徴であるが、文観の場合は、長谷寺式十一面観音の錫杖を想定したものとみられる。 こうして、文観は、母から観音信仰を、真言律宗から文殊信仰を受け継いだ。文観の名前のうち、房号(仏僧の仮名)である「文観」と、律僧としての法諱(仏僧の本名)である「殊音」は、「文殊・観音」→「文観・殊音」というアナグラムであるというのが通説である。
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