文武官の分離と歴史的意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 14:19 UTC 版)
「ガッリエヌス」の記事における「文武官の分離と歴史的意義」の解説
先行の研究者たちは、ローマ帝国の政治体制変容の指標として着目したのは「騎士階級の興隆」であり、ガリエヌス勅令は、これに決定的役割を果たしたと見做された。しかし、この記事は、4世紀の元老院議員で史家アウレリウス・ウィクトルの『皇帝史』にしか見えず、この『皇帝史』の史料的価値は低い事から、存在そのものが疑わしい。また、騎士身分者達の元老院身分官職への進出は、前帝のウァレリアヌス時代から始まっており、しかもその登用者は財務に明るい者が大半を占めた帝政期と異なり、大半は軍人が任命されている。 ウァレリアヌス帝時代を境に、皇帝は帝国防衛のためローマ市から離れ、軍隊と共に戦線近くの戦略的重要都市に常駐するようになっていった。この為、ローマ市に集まっている元老院議員との関係が希薄化し、反対に皇帝と軍人の間に密接な関係が生まれ、彼らの圧力かあるいは軍事的要請に従って、軍人層の台頭が促された。政治と軍事の分離は、こうした統治構造の変化が引き起こした現象であり、後のイリュリア出身皇帝の出現を準備する歴史的要因となったと考えられる。
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