文武の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/19 07:13 UTC 版)
会津藩は藩祖・保科正之以来、文武が大いに奨励されたが、容頌と玄宰も享和3年(1803年)に藩校・日新館を創設し、文武を大いに奨励した。日新館は藩士やその子弟、さらに庶民が通うこともできる藩校であり、文学や礼式は勿論のこと、兵学や水練などの武道も教えられ、文武に優れた人材を広く育てることになった。容頌の命令によって藩士の沢田名垂が指導者となり、『日新館童子訓』上下2巻が編纂された。 さらに玄宰によって、容頌正之時代に編纂された『会津風土記』の補助的な編纂も行なわれた。これは『新編会津風土記』と呼ばれている。新編風土記は容頌の死後に完成した。
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